2010/04/23

重要でもないことで喧嘩をしない


重要でもないことで喧嘩をしない。

小さい光でいい独自の光であれ

大いなる安らぎの心は、賞賛も中傷も気にしない人間のものである。

Twitterのタイムラインなんかを見てると、なんだか怒ってる人がいっぱいいますね。
いらないことに首をつっこんで、勝手に怒って人を不快にさせている。
普通の人間関係より、人間性が見えちゃうせいでしょうか?
こういうコミュニケーションが発達していく段階では、人と自分の違いを、もっと公平に見る力が求められます。
実害がなければスルーがよろしい。

人に与えて、己いよいよ多し。


親切な言葉は自信を生む。親切な考えは心に深みを与える。そして親切な行動は、愛を生む。

人に与えて、己いよいよ多し。

努力した人生の「なるようになる」と、いい加減な人生の「なるようになる」は、多くの場合、その「なり方」にちがいがでるのである。

親切とか笑顔とか、ただであげられるものは積極的にあげちゃったほうがいいです。
たぶん、こういうのって、あげたらあげたぶん返って来ますから。

失敗は一種の教育である


失敗は一種の教育である。「思考」とは何であるか知っている人間は、成功からも失敗からも、非常に多くのことを学ぶ。

挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。何度も言いますが挑戦しないことには始まらないのです。- 野茂英雄

心の力が勝れば、運命は心の支配下になる

失敗するとへこみますが、ただへこんでおしまいにしたら損ですね。
人生に判定負けはないので、最後に立っていれば勝ちなんです。

真実はいつも美しくてシンプルですぐそばにある


人を励まして幸せな気分にしてあげよう。そうすれば、その人だけでなく、あなたも幸せな気分になれる。

真実はいつも美しくてシンプルですぐそばにある。それをややこしくしてしまうのが人間だけど。そのややこしさを受け入れることで色んな景色が見えてくる。- 田辺誠一

人はこれまでの自分の経験の範囲でしか、他人を評価できません。

励ますっていうのは「がんばれ」とか「負けるな」って声をかけるのとは違うような気がします。
励まされる時って、かなりギリギリで、人の言葉がよく聞こえないほど追い詰められている時です。
そんな時には、声をかけられるより、ただそっと側にいてほしいのです。

辛いときに、なにげなく側にいて、辛いときこそ離れずにいてくれる人が、本当の味方です。
辛い状況の中でも、本当の味方が見つかれば、生きる力になります。
いつか必ず、この長いトンネルから抜け出して、一緒に笑って生きていこうと思えるからです。

僕は今、人生の中で最も苦しい状況の中にいます。
でも、いつも妻がそばにいて、ただ、ただ、そばにいてくれます。
たぶん、この感謝の気持ちは、形にしてあらわす事なんてできないでしょう。
だから、僕も、ただ彼女のそばにいたいと思います。

2010/04/22

多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ


多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ - モーツァルト

信じると決めたなら、何も語らず、疑うことなく、心から信じるのです

かけた情は水に流せ。受けた恩は石に刻め

最近のコンピューターはスペックがあがってきて、マルチタスクをこなすのがあたりまえになっています。ブラウザを立ち上げ、音楽を聴きながらメールを書く、なんてことはあたりまえになりました。一人の人間が、複数のコンピューターを駆使して作業すれば、単純な作業量は増えるし、生産性も上がるでしょう。
でも、人間はモーツアルトの時代と、そんなにスペックが変わったわけではありませんね。
創造的な作業は、コンピューターにはできません。未来の世界では、できるようになるのかも知れませんが、いまのところは人間のほうが優れています。そして、創造的な作業というのは、マルチタスクでは効率が悪いのも事実。集中してひとつのことをやったほうが、結果が出やすいものです。
道具としてのコンピューターは、もう無くてはならないものですが、道具に振り回されないようにしないと、人間の創造性は損なわれていきますね。
ターミネーターやマトリックスの世界では、人と機械のパワーバランスが逆転して、機械に支配される未来が描かれていますが、人間が考えることをやめなければ、ああいうふうにはならないと思います。信念や情は機械に教えても、うまく機能しないでしょう。答えがたくさんありすぎるし、計算もできませんから。

物事は大目に見るようにしなさい


不足は知恵と労力で補えばよい。大事なのは、やろうという強い想い、意志である。やろうと思えば、大抵できる。- 本田宗一郎

何かを決断するということは、同時に、何かを捨てるということ。捨てなければ、何かを得ることはできない。

物事は大目に見るようにしなさい。あなたには何ら害を及ぼさないような態度や言動については、とやかく言わないことだ。

偉大な業績を残した人の言葉は、力強いですね。自分はやった、できたという自信に満ちあふれています。
でも、たいていの人は、そこまで自信がない。
自信がないから、人と比較してしまうし、他人の意見が自分と違うことを恐れてしまいます。

自分は自分、それで十分。

そういうふうに思えれば、世の中のことはおおよそ大目に見ることができるんじゃないでしょうか?

成功とは、自分の達成度だ


行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、行動のないところに幸福は生まれない。

成功とは、自分の達成度だ。他人を気にする必要はまったくない。- イアン・ソープ

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。- アインシュタイン

「なんでもいいから、いちばんになりなさい」と、教えられたことがあります。
まあ、間違ってもいないんでしょうけど、これって正解とも思えないんですよ。
たいてい、上には上がいて、世界一になれるなんていうのは、ほんの一握りの人間で、それ以外の人は結局「いちばんになれなかった人」なわけで…。仮に、なにかで世界一になったとしても、永遠に世界一のままではいられない、程なく別な人がいちばんになるのです。どんな偉業を成したとしても虚しさが残るんじゃしょうがないと思います。
いつも、晴れ晴れとした気持ちでいるために、幸福も成功も自分のものさしで測るようにしたいものです。

小さなレンズも陽の光を集めれば、大森林でも灰にする。


小さなレンズも陽の光を集めれば、大森林でも灰にする。

迷ったときには、十年後にその決断がどう評価されるか、十年前ならどう受け入れられたかを考えてみればよい。

勇気とは不安に抵抗すること、不安に打ち勝つことで、不安を感じないことではない。

小さな事をやって得られる成果は小さいですね。
ただ、それが単発に終わることではなく、継続性がある場合には、ひとつひとつが小さな事でも大きな結果をもたらすこともあります。小さなことの積み重ねの結果、起こることのスケールが想像できたり、成功の確信があったりするほうが、やりがいも持てるだろうし、続ける力にもなるでしょう。
イメージがしっかり持てなくても、漠然とした中で続けてみるっていうだけでもいいと思うんです。何が起こるかわからない、結局、何も起こらないかも知れない。それでも、続けていれば足跡だけは残りますから。

2010/04/19

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である


最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。

日本の教育って、志望校に合格するための教育ですよね。学校に入ることがゴールになっているから、学校に入ったとたんに燃え尽きたり、目標を見失ったりします。
本当の教育の目的は「生きる力を身につけさせることなんだよ」と教えてもらったことがないんですよ。
学ぶことは生きるためなのだから、生きてる間は学ばなきゃいけないのだし、生きるって事は人それぞれなのだから、自分にぴったりの教師なんて自分以外にはいないんです。

“このくらい大丈夫”と思った方が楽に過ぎていく


 “辛い辛い”と愚痴るより “このくらい大丈夫”と思った方が楽に過ぎていく。

語気を荒らげて意見をぶつけても、相手の心の壁を取り払うことはできないのである。

何がほんとうに大切かがよくわかっている人は、何があまり大切でないかもわかっている人です。 余分なものを捨てて、思い切りのいい人生を歩むことができる人です。

愚痴とかけんかで解決できることはほとんど無いですね。
ぶつぶつ言ってるより、真っ正面から意見をぶつけてしまうか、言って聞かないような相手だったり、言ってもしかたないようなことに不満を持ったりするのはエネルギーの無駄ですよ。

しょっちゅう争っている人って、本当に大切なものが何なのかわかってないんじゃないでしょうか?
人の言ってることや、やっていることがいちいち気になる人って、自分との対話がちゃんとできてないような気がします。

程よいなまけは生活に風味を添える


程よいなまけは生活に風味を添える。

「波」は乗るもの。飲まれるもんじゃないよ。

人生最高の幸福は何でしょうか。それは富でも名誉でもありません。自分のしたいことを見つけ、それに取り組むことです。人はそれを「生きがい」と呼んでいます。

なんでもかんでも頑張ると、あんまりいいこと無いような気がします。
全力で取り組むものもあれば、適度に流すものもあっていいんですね。
「なまける」という言葉は、あまり良い意味で使われることはないですが、程よいなまけ、程よい遊びがなければ、人生に彩りがなくなっちゃいますよね。本筋ではなく、枝葉から吸収する養分が、人間を魅力的にするんじゃないですかね?

2010/04/16

今日という日は、残りの人生の最初の一日


今日という日は、残りの人生の最初の一日。

楽しきと思うが楽しきもとなり

どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない

昔のことを知っているというのは、同じ間違いを犯さないという意味では重要です。悲惨な戦争を二度と起こさない、起こしてはいけないと学ぶから、歴史は重要なのです。しかし、たとえ良い出来事であったとしても、歴史をなぞるのは考え物でしょう。今の時代には、今でしか判断できない物もあるのです。
「いま、ここから役にたつこと」は、過去から学べるものではありません。

僕も、時代について行くのがたいへんに思うような歳になりましたが、新しいことにチャレンジしたり、身につけたりするための勉強は、続けようと思っています。これをやめてしまったら、この世界で役に立つことはできなくなるからです。
成功体験の多い人ほど過去にとらわれがちですが、成功は過去のことなんです。それはそれとして、きょうからリスタートできる人だけが、これからも成功できるんじゃないでしょうか?

2010/04/06

我等のつとめは成功にあらず


我等のつとめは成功にあらず、失敗にたゆまずして更に進むことなり。

無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。

技術を追求すると、そこからさまざまなアイデアに行き着くことが多いものです。

研究開発を職業にしている人の中には、入社して10年も経つのに、自分の研究がひとつも製品化されない人もいるようです。同じような内容のものが他社で先に製品化され、開発が成功する前に陳腐化してしまうこともあるでしょう。運良く製品化されても、ヒットしなければ、開発費、生産ライン、流通などのグロスで赤字になり、成功とは言われないかも知れません。

そう考えると、世に出る前の段階では、何もかもが失敗の山なのです。
失敗の山の中に、ごくわずか成功の種があるだけなんですね。

そもそも、失敗だらけなのだから、失敗を恐れることなんて馬鹿げています。
興味がわいたら、さっさとやって、失敗すればいいのです。

興味を失わないうちは、勉強もするし、やってるうちに小さな成功に行き当たることもできるでしょう。
悔やむのをやめて、明日も元気に失敗しましょう!

計画は5%、実行が95%だ


素晴らしい計画は不要だ!計画は5%、実行が95%だ - カルロス・ゴーン

次々に、善意の考えが浮かび、実行できる人は、いつまでも「幸せ」が続いていきます

私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから。- トーマス・エジソン

志は大きい方がいいですね。
日本の景気が良くなることを考えるより、世界中から貧困をなくすと考えた方が良い。

目標は、近い目標と遠い目標の両方を持った方がいいですね。
遠い目標ばかりだと、いつまでも達成感が得られませんし、近い目標ばかりだと、どこに向かっているのかわからなくなってしまうことがあります。

計画は、具体的で、すぐに実現可能なものがいいです。
計画は目標達成のための手段ですから、あまり立派なものじゃなくてもいいと思うのです。あまりにも完璧に計画を立てすぎると、想定外の出来事に対して柔軟に対応することができなくなります。

なにか事を起こすときに、事前に資料を集めて研究したり、様々な想定をしたり、熟慮することは大切です。
しかし、いざ事が動き始めたら流れを読むことだとか、目の前の出来事に集中することの方が重要です。

なにごとも計画通りに進むことはありえない、と思っていた方がいいのです。
一生懸命書いた台本も、本番前には潔く捨てて、無心で臨む方が良い結果を生みます。


完璧であることほど、完璧につまらないものはない


大きな業績を残す人は、人の何倍も働いたからではない。大きな結果を考えたからだ

完璧であることほど、完璧につまらないものはない

常識と非常識がぶつかったときに、イノベーションが産まれる。- 井深大

僕は理系人間でした。
理系の科目が好きだったというより、文系科目の曖昧さが嫌いだったのです。
意見することより、証明することが好きだったのかも知れません。
ひとつの問題に対して、ひとつの答えが導き出されるところも、理系の科目の好きだったところです。

人生の多くの時間を、理系的ロジックで考えながら過ごしてきたので、いまでも考え事をするときには、仮説を立て、結果を想定する癖があります。この癖が、良い方に出るときもありますが、最近はこういう物の考え方だけではダメだなぁ…と思うことが増えました。
ひとつの結果を導くために、ひとつの目標しか設定しないのであれば、考え方の幅が狭まります。
完璧な解を求める余りに、同じ所をグルグルと回っているだけで、結局、前に進めなくなることもあります。

人生に、完璧な解はありません。
いつも、どこかに綻びがあって、隙があって、愛嬌程度のごまかしがあって…。
それで、いいんじゃないの?と思えるようになってきました。

ものごとを大きく捉えて、ゆるさの中から、うねりみたいなものを見いだす。
常識が覆り、イノベーションが起きる時代には、ミクロな視点はあまり役にたちませんね。

2010/04/05

見返りを求める善意はただの迷惑


見返りを求める善意はただの迷惑。

人生において成し遂げたいと思っている物事の大半は、一気に終わらせようとせず、少しずつ時間をかけた方が、よりすばらしい成果とより大きな喜びをもたらすのです。

フロントガラスがバックミラーより大きいのは、これまで通ってきた場所よりもこれから行こうとしている場所の方をたくさん見なさいということなのだろう。

善意の行動は、あとのことは考えず、やりっ放しにしたほうがいいということでしょう。
「こんな良いことしてやった」と考えたら負けです。
良いことしてるという意識すらせずに、善を行うことができるようになればいいですね。

資本主義の世界で生きていると、自分に利益のある行動が、他人にとって不利益になるなんてことは日常茶飯事です。いちいちセンチに考えちゃうと、明日の飯にありつくことも危うくなります。いつもWIN-WINの関係を築くことが理想ですが、やはり理想にすぎないのかもしれません。

利益の獲得は、企業単位でも家計単位でも重要な問題ですが、これで十分というラインを決めるのは難しいです。世の中の人の大半は「金はあればあるだけいい」と思ってます。僕もそうです。「金なんかいらない」って言う人は本物の大金持ちか、世捨て人でしょう。ただ、金持ちじゃなくても足ることを知り、お金に惑わされない心を持つ方が幸せであるのは間違いありません。

自分の利益のために、他の誰かが犠牲にならないこと。
できたら、自分にも他の多くの人にもメリットがあること。

これを少しずつやっていければいいなぁ…と思います

情報の伝達と、伝えることの意義


情報の伝達とは、伝えることが目的ではありません。その内容を実行してもらい、結果に結びつけて、初めて完結します。

「すぐやる、100%やる、楽しくやる」こう自分にいいながらやると、何でも楽しくなる。

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。- 松下幸之助

人になにかを伝えるときに「言いっぱなし」になっているのはよくあることです。
情報のすべてが、実行可能な物に分類されるわけではありませんが、伝えることによって起こる波及効果については、少し考えてから伝えたほうが質の高いコミュニケーションになるのではないでしょうか?

情報の価値は、一意に決まる物ではありませんが、良いにつけ、悪いにつけ、共有することによって淘汰された情報が浮かび上がり、集合知が形成されるのがベターでしょう。

日経新聞の電子版が個別記事へのリンクを拒否しているようですが、情報の発信者は、得た情報を一方的に知らせるだけでなく、一度ソーシャルな世界に投げて、浮かび上がってくるものを再検証するという機能も持たなければ「時代遅れ」と言われます。

メディアが内部的に情報を揉むというのは、日常的にやっていることですが「世の中に問う」プロセスも必要なのかも知れません。

仕事は増えますが、より公平で健全な体質を保つために、メディアが主体的に情報を循環させることが望まれます。

いまの状態がメディアにとって逆境なのかといえば、これまでのビジネスモデルを継続したいメディアにとっては逆境でしょう。
しかし、集合知をまとめて、よりわかりやすく知らしめるという仕事は、これからも十分成立するわけだし、そこにビジネスチャンスもあるのではないかな?とも思います。

こういう時代だからこそ、素直に変化を受け入れ、人の役に立つことをひたすらやり続けることが大事ですね。

成功の定義


愛するとは、自分の幸せを他人の幸せに重ねることである。

成功したから楽しいのではなくて、楽しくやってるから成功したんですよ

周りを幸せにする「幸せ言葉」を使おう。

「成功」とか「幸せ」とか、先人の言葉にはよく出てくるんですけど、実は僕自身、よくわかってないところでもあります。
小さな目標を立てて、うまくいけば、それもひとつの成功なんでしょうけど、人生における成功ってなんだかイメージがわきません。小さな成功を積み重ねることなのかもしれないし、何か大きな事を成し遂げることなのかも知れないし…。
よくわからないけど、楽しいっていうのは、確実に幸せにつながっていると思います。
楽しくやっているプロセスそのものが成功っていう定義はおもしろいかもしれませんね。