2010/05/13

人にやさしい信念を持とう


おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。- サン・テグジュペリ

我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我らに光明を与えるだけでなく、周囲もを照らすのだ。- ガンジー

信念って、メラメラ燃やすモノと思ってたけど、ガンジーは灯火のように燃やすものだと言う。
確かに、自分のエネルギーとしての信念が、ときどき人を巻き込んで火傷させちゃうことってあると思う。
太陽も、あの距離にあるから"ちょうどいい"のであって、近すぎると地球は燃え尽きちゃう。

人にやさしい信念を持とう。

いいことは、いつのまにか「当たり前」に感じてしまう。


いいことは、いつのまにか「当たり前」に感じてしまう。

常に何かを聞き、常に何かを考え、常に何かを学ぶ。これが人生の真の生き方である。

君が笑えば、みんなが笑う

世の中には文句が多いよね。
褒めるより、文句が多い。
それって日本人の気質なんだろうか?

自分に不利益がある悪い事って、脊髄反射的に避けたいっていうのはあると思う。
良いことを語るって言うのは、けっこう頭を使う作業で、悪いってことを口に出すのはアホでもできるっちゅうことだ。

安心して夜道を歩けることも、安心して水を飲めることも、日本の良いところなのに、あえてそこを褒める事ってないよね。
あたりまえにあることって、それが無くならないと、価値がわからないって、なんとなく寂しい。

いま、普通にある生活を、それが無くなったら?って考えることで、感謝の気持ちが芽生えるんじゃないかな?
普通って、素晴らしいことに気づけば、誰でも幸せになれるってことさ。

2010/05/11

出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い


出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い。

トラブルは自分を磨きイマジネーションを豊かにするチャンス。トラブルを怖れるな。逃げずに頑張ってくぐり抜けた者が大きくなっている。

私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくっていく。

良くも悪くも、自分以外の人間は、自分と違う考えを持ち、自分と違う人生を歩んでいます。
自分と違う経験をしているということは、そこに学ぶべきところがあったり、尊敬すべきところがあったりするものです。

以前は、好きな人物の伝記を読んだり、エッセイを読んだりすることで、人の考え方を学ぶことが多かったように思います。
最近は、ブログやツイッターなどで、息づかいまで感じながら、人とのつながりや考え方を共有することができるようになりました。
人から何かを学んだり、感じたりすることが、便利に簡単になりました。

見知らぬ人との距離が、縮まっていく時代。
特定の誰かではなく、すべての人に、優しさを持ち、伝えていければいいなぁ…。

2010/05/10

iPadとか、普天間とか。


忙しい、と自分に信じ込ませることで「本当」のチャンスや「本当」の時間を無駄にしているのです。

大事を成さんと欲すれば、小なることを怠らず努べし。小積もりて大と成ればなり - 二宮尊徳

弱気にならなければ、この人生も素晴らしい

「弱気にならない」っていうのは、「いつも強気でいる」のとは違うなぁ。
強気すぎる人って、たいてい自分本位でしょ。
信念を持つのはいいけど、いやがる人まで巻き込むのは良くない。

強気な信念を持ちすぎて、人の意見を聞けなくなるのは危険だよ。
いつもニュートラルに、周りがよく見えている状態が最も素晴らしいんじゃないかな?

ところで
日本で発売されるiPadはSIMロック、SoftBankが独占することになった。
たぶんiPhoneほどのニーズが無い商品だから、iPhoneほどは儲からないな。
それにしても、先日のNTTの社長さんが
「うちもiPadのSIM売ります」って言っちゃったのはまずいよね。
だいぶ期待した人もいるみたいだし。
AppleはSIMフリーで売ると、発表時の基調講演で言ってたから、鵜呑みにしちゃったのかな?
孫さんに一本取られたってことか…。

期待させるようなことを先に言って、実現しないとショックでかいから、良いことほど、実現確実になるまで言わない方が良いんだな。
普天間の県外移設もそうでしょ。
期待してなきゃ、あんなにがっかりしないもん。

昨日、ミスターサンデーでやってたんだけど、フィリピンが基地を拒否して、アメリカ軍が撤収したあと、いきなりフィリピンのとある島に中国がやってきて、国旗立てちゃったって。
すごいね。あるんだね、こういうの。
で、アメリカはこの件に関しては、中立を宣言して、係わらなかったんだとさ。

沖縄から基地を撤収させて、そこに、どっかの国がやってきて
「ここは、俺の領土だ」って言われたら、どうするんだろ?

やっぱり「抑止力」って、あるんじゃない?

2010/05/09

その技術は、過去の技術を"完璧に"置き換えるのか?


本物のブランドとは、伝統のスタイルと技術に根差しながら、常に新しい変化をつくり出すものだ

貧困は、気高い心を堕落させることはできないし、富は、卑しい心を高めることはできない。

愛あるところに人生がある。- マハトマ・ガンジー

iPadがいよいよ発売されるということで、その話題で持ちきりです。
SoftBankの独占なのか、SIMフリーでDocomoが参入するのか、まだ結論は出ていません。

情報との接触の仕方は、劇的に変化し、いずれ電波がエーテルのように日本中に満ちて、いつでもどこでもつながる環境を手に入れることでしょう。空気や水のように、情報もそこにあることがあたりまえになっていくのだと思います。

きょう、NTTが1Gbpsの無線LANを開発したというニュースがありました。
どこまでが有線で、どこからが無線か?
イノベーションを睨みながら、判断しなければ、余計なお金を使ってしまうことになるでしょう。

変化を推進する者に、必要な視点は、残るモノと完全に置き換わるモノを切り分けて考えることです。
VHSはDVD、あるいはBlu-Rayに完全に置き換わります。
アナログテレビはデジタルテレビに完全に置き換わります。
しかし
CDは、mp3に完全に置き換わるでしょうか?
本は、紙からデータに置き換わるでしょうか?
テレビは、UstreamやYoutubeに置き換わるでしょうか?

ビジネスモデルは変化しますが、完全に置き換わらないモノに関しては、存在意義を棲み分けながら、今後も共存、補完、発展の道を進むのが正しい方向性だと思います。

新しいモノが出てきて、いち早く取り入れた人たちは、古いモノを滅びるモノと言ったりしますが、完全に置き換わるイノベーションでない限り、滅びるというのは乱暴な言い方だと思います。

どっちもあって、どっちも便利。
それが理想なんですよね。

2010/05/08

5%の楽観論者が各界をリードしている


人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に、道徳を追求していくことです。- アインシュタイン

日本人の95%は悲観論者。残りの5%の楽観論者が各界をリードしている。

私たちが笑顔で暮らし、自分のことを好きでいられて、思いやりの気持ちが自然と先立つように生きることができれば、世の中はどんどんよくなる。

リアルに出会う人の95%が悲観論者だとは思わない。
しかし、ネットの中には、相当数の悲観論者がいるような気がする。
人にもの申すのに、そんな言葉使いはないだろうというような表現を、毎日、見かける。
ネットの世界も、これだけ身近になってきたのだから、もっといろんな意味で、リアリティがほしいよね。

2010/05/07

宝物は、人通りが少ない道に埋まっている


落ち込んでいる時は新しいことに手を出さない。すでにできていること、得意なことをするようにする。

「やめないのも才能のうち」......ゆっくり遠くまで行こう

宝物は、人通りが少ない道に埋まっている。

よく成功の秘訣として語られる言葉に
「人と同じ事をしてちゃダメ」
みたいなのがあります。

大勢の人が通った後には、踏み固められた安定感のある道があるものですが、大勢の人が通ったということで、陳腐化しているのも事実です。時代にマッチしたデファクトには、それなりの価値はありますが、そこからイノベーションは起きづらいですね。

人も通らぬ獣道は、危険ですけど、ちょっとした裏道ならば、歩けると思います。
人が通っていないから、見落としもあるのですね。

ときには、自分なりの地図を描きに、小道を散歩するのもいいんじゃないでしょうか?
発見があるかもしれません。

心のガラクタを捨てて、受け入れるスペースを作ろう


心のガラクタを捨てて、受け入れるスペースを作ろう

自分にとってプラスになること以外口にしない - ベンジャミン・フランクリン

現代社会において、情報をシャットアウトするのは無理ですね。
ありとあらゆる方法で、情報が入ってくる。

仕事においては、ありがたい環境になってきたと思うんですが、これだけ情報が溢れかえっていると、情報疲れも引き起こします。
必要な情報と、必要でない情報を、個人レベルで完璧にフィルタリングできるサービスなんかが発明されたら、すごい経済効果を生み出すんじゃないでしょうか?

とはいえ、いまのところはノイズ混じりの情報から、自分の目と耳で取捨選択するしか方法は無いですから、訓練もかねて情報のシャワーを浴び続けています。

情報は、モノのように場所をとらないので、いつのまにやら溜まってしまいます。
また今日も、明日も情報は入って来ますから、受け取るためには、いくらか過去の情報を整理して、いらないものは捨てるほうがいいのかもしれません。

自分の蓄積している知識から、ノイズを減らしていくのも、情報とつきあう上では、大事な作業です。
心も頭も、ときどき掃除してやらないと、容量オーバーになっちゃいますよ。

自信は、守っている約束の数に比例する


何かに挑戦すれば、何かにぶつかる

そこに注目すれば、それはエスカレートする

自信は、守っている約束の数に比例する。大きさではない。

何であれ、達人への道は
  • 数多くやる
  • 長く続ける
  • 集中してやる
の、3点でしょう。

あと最近重要なのは「速さ」
多少不完全でも、速度をあげて数多くやるのが二十一世紀風だと思います。

人間は失敗しますからね。
一度の失敗で、すべてを失うなら、人間なんかやってられません。
たくさんやって、なるべく確率を上げていくっていうのが正解だと思います。

正解を多く導き出せれば、自信もつくでしょ?

1ミリ変えることで、不思議と人生はまったく新しいものに変っていきます


1ミリ変えることで、不思議と人生はまったく新しいものに変っていきます。

 今日良かったからといって、明日もいいとは限らない。今日悪かったからといって、明日も悪いと限らない。そんなことに一喜一憂していたら、身がもたない。

よいアイデアを得る最良の道は、たくさんのアイデアを持つことである。

アイデアっていうのは、既存の事実の組み合わせである。
ということは、そもそも何にもないところから、アイデアは生まれないということです。

知識を得ること、見聞を広げること、それ即ち、アイデアを出す素地を作っていることなんですね。

いいアイデアは、いい組み合わせなのです。
iPodもIPhoneも、この世界には既に原型があったのですが、必要のない機能をはぶき、美しく仕上げ、あたかも新しいモノのように謳うことでヒットしました。

いま、そこにあるものに、たったの1ミリ変化をつけることで、素敵に変身するモノって、まだまだあるのかもしれません。
日常の中に、1ミリの工夫を繰り返すことによって、未来は明るくなるんじゃないでしょうか?

幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ


この世界にはあなたに手を差し伸べ、あなたを愛そうとしている人々がたくさんいるのである。

出会いで人は変わります。だれか新しい人に出会うと新しい可能性が開けてきます。 何か新しい本に出会うと、新しい未来が見えてきます。 何か新しい言葉に出会うと新しい自分に気づきます。

幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。- 甲本ヒロト

いまの若者は、けっこう幸せ感じ上手な気がする。
住む家があって、着る服があって、きょう食べるものがあれば、他に何もいらない…と。
確かに、そのとおり。
生きていく分には、なにもいらないよね。

就職氷河期と言われているけど、働き口が無いだけではなく、無理して正社員にならなくてもいいと考える若者が増えているのも、失業率を押し上げている遠因じゃないかな?

本人が、幸せだと感じているなら、その生き方を否定するべきじゃないよ。
仕事をすることでしか、自己実現の方法が見つけられなかった世代に比べれば、やっぱり彼らは幸せなんだろうと思う。

働かなきゃと思ってから働けばいいんじゃない?
遅いスタートでも間に合う社会になればいいね。

アホであることを認めても、自分自身の価値はいくらも減りはしない


今が最悪だといえるときは、まだ最悪ではない

あなたが素直にならずに、相手が素直になることは、まずありえません

自分がアホであることを認めても、自分自身の価値はいくらも減りはしない。

変に負けん気を起こして、論争に勝っても、得るものは少ない。
プライドの高い人は、言い負けることを嫌うけど、言い負かされた相手は、ほとんどの場合、納得してないからね。

自分は自分、人は人。
いいんじゃない?バラバラな考え方でも…。

あまり奢り高ぶらない方が、人としては上等。
アホを認めても、認めなくても、人はその人自身でしかない。
人の価値は、誰かに勝ったから高まるモノじゃないでしょ?

言われていることは何か、それに心を用いなさい。


誰がそう言ったかを尋ねないで、言われていることは何か、それに心を用いなさい。

人間関係から何が得られるか、ということは考えないことです。 そのかわり、その関のためにあなたに何ができるか、を考えましょう。

言葉とか文字では人は動かせない - 本田宗一郎

自分に対する批判を素直に聞けないタイプの人っていますよね。
自分のやっていることに自信が無いのか、確信がないのか?

そもそも、他人というものは、批判的なものなんじゃないでしょうか?
自分のことはさておいて、匿名で他人を批判するのは卑怯で愚かな行為なのに、インターネット上には意味のない批判があふれています。
悲しいことです。
気に入らないことがあったとしても、実害が無ければ黙っていた方が賢いんですけどね。

少なくとも、卑怯な発言はスルーされても仕方ないのです。
本人がいくら正しいと思っていても、リアルな世界で通用しない物は、インターネットの世界でも通用するわけがありません。

相手が誰であれ、聞く耳を持つことは大切です。
でも、それは相手が自分が誰なのか、正々堂々と名乗った場合に限ります。

知識は忘れたころに知恵となる。


知識は忘れたころに知恵となる。

道楽を抜きにした人生なんてなんになるだろう?

感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。

僕は酒も飲まないし、コレと言って没頭している趣味も無いんですけど、つまらないとか暇だっていう感じはしないですね。
強いて言えば、いつもなにか考えています。
考えるのが、最高の娯楽かもしれません。

最近は怒濤のごとく情報が入ってきますから、考えるテーマには事欠きません。
アウトプットするのを前提にインプットしていると、知識の蓄積に深みが出ると思います。
こうした日常を通して、ちょっと賢くなれればいいですけどね。

自由に生きた人の人生は皆から尊敬されないかもしれないが、愛される。


自由に生きた人の人生は皆から尊敬されないかもしれないが、愛される。

幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。

樫の大木は一夜で大木になるわけではありません。大木になる過程で、多くの葉や枝や皮を失ったりもしているのです。

自由ってなんでしょうね?
子供の頃は、親の干渉や束縛があって、解放されたくって、尾崎豊みたいに吠えてたかもしれません。

19の時に、家を出て、自活しながら大学に行きました。
僕にうるさく言う人はいなくなったけど、働かないと喰っていけないので、仕事をするという責任に縛られました。
結局、経済的に自由にならないと、本当の自由は得られないことを知りました。

いまも、そういう意味では自由じゃないのかも知れません。

でも、サラリーマンやってる割にはしがらんでないし、けっこう気ままにやってます。
多少の不自由は、人生のスパイスだと思って、きょうも元気に生きてます。

自分の「いいところ」は、他人に認めてもらう必要はない


人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。- リチャード・M・ニクソン

自分の「いいところ」は、他人に認めてもらう必要はない。 自分が心の中で認めればそれでいいのであって、わざわざ他人に証明する必要はないのだ。

蜘蛛の巣はダメ、蜜蜂になれ。情報はくるのを待つな、自ら求めて動きまわれ。

自分の「いいところ」を自分で認めるって難しいですよ。
誰も褒めてくれないのに、自分だけ認めるなんて、不安になりますよね。

大勢でなくても良いから、ほんの少しだけ誰かに認められたいというのが本音なんじゃないでしょうか?

「自分はこれだけやっている」と声高に言う人がいますが、これは逆効果ですね。
本当に褒められるべき実績があるならば、黙っていたって噂になりますよ。
役に立つことをやっていて、全く認められないのなら、よっぽど環境が悪いってことでしょうね。

アイディアの開発は、2回壊して本物になる。


アイディアの開発は、2回壊して本物になる。

「人生に無駄はない」そう思える人だけが、人生の数限りない無駄を生かすことができる。

常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉っていうような、言葉のみを使っている人、そういう人は心がけなくても、人に幸福を分けている人だよ。

アイデアっていうのは、そもそも過去の成果や経験、知識の組み合わせですから、ぶっ壊したところでゼロにはならないものです。
壊すというよりも、これ以上、細分化できないところまで微分してみるということでしょうか?

微分すると、一見複雑に見えることでも、単純になります。
単純にしてわかりやすくなったものを、また組上げていく。
この組みあげの作業の中で、いらなかったものを省き、新たな考えを組み入れていくのが、アイデアを揉む作業と言うことです。

良いアイデアは良い組み合わせ。
最もシンプルで、美しい組み合わせが、最高のアイデアであるとも言えるでしょう。

あたり前を積み重ねると特別になる


あたり前を積み重ねると特別になる

苦難は幸福の前奏曲だと思えば、苦しみに耐える力も湧くだろう

自分の思ったことを通していくこと、それがやがて真理となっていく。

「特別」の反対は「あたり前」とか「普通」とかですかね。
「あたり前」も「普通」も、まんざら悪い訳じゃないですけどね。
ただ、経済活動においては、普通すぎると、注目が集まらないから儲からない。
どこか特別な価値が無いと、人はお金を払いませんから。

単純作業の繰り返しみたいな仕事で、新興国に敵うはずもなく、仕事の在り方自体、知的生産性を要求されるものに完全にシフトしていかないと、日本は立ちゆかなくなると思われます。それでも、単調な繰り返しを要求する仕事が無くならないならば、その単調さを合理化するという意識ぐらいは必要ですね。

いい結果が生まれるのはブランドを拡張するよりも収縮させる時である


いい結果が生まれるのはブランドを拡張するよりも収縮させる時である。

もっとも卓越した人々は、自己研鑽や、勉強をやめなかった人々、今もやめない人々のことである。苦労なくしては何も得られない。人生は永久に勉強である。

私のライバルは、昨日の私 - ベッキー

日本は20年もの間、成長が停滞している。
日本がひとつのブランドだとしたら、いい加減、成熟した結果としての文化がマネタイズされていても良いだろう。

製造業を中心に据えた経済成長は、もう望めない。
高度な製品も、国際社会の中ではすぐにコピーされて、新興国によって安価なものを生産されてしまう。
人口がどんどん減っていく日本では、国内のマーケットはすぐに飽和してしまう。

流通コストのかからない文化を、世界に示すことが、いまやるべきことなんじゃないだろうか?
モノはコピーできても、文化や精神性はコピーできないだろう。

ジャパニーズインテリジェンスは、なにも東大卒の官僚達の手を借りなくても、示すことはできるんじゃないかな?
マンガ家に東大出はいないでしょ? たぶん…。

2010/05/02

もっとも無駄な日は、笑わなかった日である


他の人に一生懸命サービスする人が最も利益を得る人間である - カーネル・サンダース

もっとも無駄な日は、笑わなかった日である

出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い。

僕は嫁さんの笑い声が好きです。
よく笑う人で、テレビを見ながら大声で笑います。
決して上品な笑い方ではありません。
「ぎゃははははーぎゃはっ」と笑います。

本人は、自分の笑った顔が好きじゃないと言いますが、僕は好きです。

嫁さんが、笑っていてくれたら、きょうも幸せだなって思えるんです。
キザですかね?

常識とは、18歳までに身につけた偏見の集合だ


賛同してくれる人がいると快適だが、自分に賛同しない人といると成長する。

常識とは、18歳までに身につけた偏見の集合だ

やれるだけやって、倒れるなら倒れてみろという気持で生きてみることがやっぱり大事。

常識の中にも、時代と共に変わる物もあれば、変わらない物もある。
個人差もあるし。
ある人にとっての常識が、別な人には非常識に聞こえる場合もある。

「それって常識でしょ?」って言ってる人は、いったいなんの確信があって言ってるのか?
常識のすべてが偏見とは言わないが、常識を疑ってかかる癖は身につけておいた方が良い。

日本の教育は、一つの問いに対して一つの答えを求めるが、現実は一つしか回答のない物のほうが少ない。
様々な考え方があって、複数の答えがあって、多様性を認めることで平和も繁栄もあるというのに…。

複数の答えを認めないのは、支配する側から見れば都合が良いからでしょ。
都合の良い人間になって、他人のために人生の大半を費やすなんて、無駄じゃないかなぁ?

恐怖は人の心の中にしか存在しない


恐怖を克服する決心をさえすれば、たいていの恐怖は克服できる。恐怖は人の心の中にしか存在しないからだ。

人は、自分がだれかによって、何かによって支えられているのだと気づけば、謙虚になれる。自分の弱さやはかなさに気づくことができるのだ。

想像力って動物にはなくって、人間だけにあるものらしいですね。
鉄腕アトムに描かれていた未来は、その当時の人からしたら「まさか」の出来事で、想像の産物でしかなかったでしょう。
アトムほどの優れたロボットはいまのところ存在しませんが、手塚治虫の想像した未来は、ほとんど現実化したんじゃないでしょうか?

人間は想像力を使ってイメージしたものを具現化しながら発展してきました。
想像力はよく使えばエネルギーになるんですね。

ただ、マイナスのイメージも、やはり想像力の産物です。

想像しようがしまいが、悪いことが起きるときは起きるものです。
変にイメージを持って凝り固まるよりは、考えないで受け止めちゃった方がいいのかもしれません。

悪い事って、起きなきゃ起きない方がいいに決まってます。
でも悪いことが起きた時って、自分を見捨てる人がいたり、支え続けてくれる人がいたり。
ある意味、大切な物がはっきりと篩いにかけられて見えてくる機会なのかもしれませんね。

「教養」とは「一人で時間をつぶせる技術」


必ず成功するとは、誰にも言い切れない。必ず成功しないとも、誰にも言い切れない。

「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことである。

自分に問いかけ、自分と会話する。
なんか暗い感じもしますけどね…。
最近は手軽なコミュニケーションツールが増えてきたので、ひとりでゆっくり考える時間が減っているのではないでしょうか?

いくら便利になっても、情報に追い立てられて、考えることをしなくなったら本末転倒。
情報は考える材料であって、そこに結論を求める物じゃないでしょ?

自分の原理で動く生きかたが、かっこいい


自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。- アインシュタイン

いっぱい失敗して、そのたびに責任とって、そうやって人は伸びていくし、 "ひとかどの大人"になれるのだ。

他人の評判でなく自分の原理で動く生きかたが、かっこいいと思います。

ある人にとっての正解が、別な人にとっての正解であるとは限りません。
まずは、自分という基準がしっかりしていないと、いつも他人に流されて生きることになるでしょう。
自分の言動が理にかなっているか、それは義を重んじているか、自分自身を律しながら正解を求めるのは容易なことではありません。

先人は「間違うな」「失敗するな」とは決して言いません。
ただ、間違いから学び、間違えたら責任をとり、自分らしい正解を出せる人間になれと言っているのです。

迷ったときは、真実を語れ


すぐに立ち直る。これも持続性の重要なポイントだ。

迷ったときは、真実を語れ。

それしか自分を活かせる道がないとわかったら、それに徹することである。

人間やってると、必ず迷うもの。
誰でも、多かれ少なかれ、迷いの中で生きているのです。

若い頃は、迷ったときに「どっちがカッコイイか?」を基準に選択していました。
いまは少し変わってきたかも知れません。

真実は時として、その姿を明らかにしないものです。
でも、真実に近づきたければ、ぼんやりとでも方向だけは示してくれる気がします。

真実がいつも、自分に有利とは限りません。
それでも、それが誠の道ならば、その道を選ぶ勇気を持ち続けていたいものです。