自由に生きた人の人生は皆から尊敬されないかもしれないが、愛される。
幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。
樫の大木は一夜で大木になるわけではありません。大木になる過程で、多くの葉や枝や皮を失ったりもしているのです。
自由ってなんでしょうね?
子供の頃は、親の干渉や束縛があって、解放されたくって、尾崎豊みたいに吠えてたかもしれません。
19の時に、家を出て、自活しながら大学に行きました。
僕にうるさく言う人はいなくなったけど、働かないと喰っていけないので、仕事をするという責任に縛られました。
結局、経済的に自由にならないと、本当の自由は得られないことを知りました。
いまも、そういう意味では自由じゃないのかも知れません。
でも、サラリーマンやってる割にはしがらんでないし、けっこう気ままにやってます。
多少の不自由は、人生のスパイスだと思って、きょうも元気に生きてます。