考えている時間は「感じること」をやめてしまっているのです。
心はパラシュートのようなものです。開かれなければ、役に立ちません。
頭では理解できるのに、心が受け付けないっていうことって、けっこうありませんか?
脳科学的には、心も脳の中にある機能なわけですから、矛盾することで判断に苦しむときには、頭と心みたいに、分けて言うほうが都合がいいのでしょうか?
一生懸命なにかを考えている時って、脳をフル回転させているような気がしますけど、どうがんばっても脳の3割ぐらいしか使えないっていうのが、人間の限界のようです。
だったら、もうすこし小さく、軽くしてくれれば肩こりも解消されるかも?なんて思っちゃいますが、意識して使えない脳の7割が、実は心っていうやつの正体なのかもしれません。
放送事故で人は死なないので、気楽な商売といえばそうなんですけど、番組に傷がつくのは、いろいろ後が面倒です。
構成を考えたり、台本を書いているときは、けっこう考えますが、生で放送している最中に考え込むと、たいてい事故ります。
瞬時の判断をしなければならない時は、考える暇が無いんだから、感覚を研ぎ澄まして反射神経で仕事している感じですね。
こういう仕事をしていると「考えると感じることができなくなる」というのは感覚的にわかります。
考えるのに脳を使っちゃうと、感じるセンサーに蓋をするような感じですかね?
感じた結果、なんらかの判断を下すわけですが、その判断が、できるだけ間違いの無い判断であるように鍛えるべき部分は…やはり、脳ではなく心なんだろうなぁ。