2010/07/20

考えている時間は「感じること」をやめてしまっている


考えている時間は「感じること」をやめてしまっているのです。

心はパラシュートのようなものです。開かれなければ、役に立ちません。

頭では理解できるのに、心が受け付けないっていうことって、けっこうありませんか?
脳科学的には、心も脳の中にある機能なわけですから、矛盾することで判断に苦しむときには、頭と心みたいに、分けて言うほうが都合がいいのでしょうか?

一生懸命なにかを考えている時って、脳をフル回転させているような気がしますけど、どうがんばっても脳の3割ぐらいしか使えないっていうのが、人間の限界のようです。
だったら、もうすこし小さく、軽くしてくれれば肩こりも解消されるかも?なんて思っちゃいますが、意識して使えない脳の7割が、実は心っていうやつの正体なのかもしれません。

放送という仕事をしていると、秒の単位で判断を迫られることがよくあります。
放送事故で人は死なないので、気楽な商売といえばそうなんですけど、番組に傷がつくのは、いろいろ後が面倒です。
構成を考えたり、台本を書いているときは、けっこう考えますが、生で放送している最中に考え込むと、たいてい事故ります。
瞬時の判断をしなければならない時は、考える暇が無いんだから、感覚を研ぎ澄まして反射神経で仕事している感じですね。

こういう仕事をしていると「考えると感じることができなくなる」というのは感覚的にわかります。
考えるのに脳を使っちゃうと、感じるセンサーに蓋をするような感じですかね?

感じた結果、なんらかの判断を下すわけですが、その判断が、できるだけ間違いの無い判断であるように鍛えるべき部分は…やはり、脳ではなく心なんだろうなぁ。

理想的な会議とは?


論争や討論の目的は勝利ではなく、改革でなければならない。

できるだけいつも笑顔で。そして、別れ際は必ず笑顔で。

勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る力の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。

世の中には不毛な会議が多いですね。
一方的に報告を聞くだけで、とくべつ意見が出るわけでもなく、時間だけがダラダラ過ぎていく…。
ムダですねぇ…。

会議の目的は、課題に対する意思決定をすることであって、すでに決まっていることを聞くだけなら、わざわざ大勢で顔を合わせる必要なんか無いのです。
一斉メールで十分じゃないですか。

たまに議論が熱くなる会議もありますが、相手の意見を打ち負かすことに躍起になって熱くなっているのでは、本来の目的から逸脱しています。
生産性や売り上げ向上のための社内会議の場合など、対案には間違いなく一理あるのです。
言い方や、手段が違うだけで、共通の目的には向かっているわけですから、どこかに共通項があるかもしれません。
話というのは、この共通項、共感の部分を土台に進めるべきなんですね。

僕は職業柄、企画会議という形の会議が多いのですが、アイデアの骨格は大勢で考えないことにしています。アイデアのグランドデザインは、多くの要素が入ってしまうと、たいてい陳腐化します。
自分のアイデアも、あまりにも具体的過ぎて、その枠組みの中でスタッフの個性が生きないようではダメだと思っています。

たとえば、一枚の絵を描くとしましょう。
まず、何に描きますか?
イーゼル?画用紙?スケッチブック?チラシの裏?
何で描きますか?
鉛筆?水彩?クレヨン?
何を描きますか?
人物?植物?建物?心象?

たいていの場合、このほかに、いくつかの制限があります。
「赤の面積は、70%以上」とか「縦の長さは40cm以下」とか。

このぐらいは、コンクリートした形で、自分たちの描く絵が、おおよそどのような体裁になるかのイメージを、しっかり与えることが大事です。
さまざまな制限の中で、表現の自由度を最大にしてあげることが、マネージメントであると思っています。

会議の話から、だいぶ横道にそれてしまいましたが、目標設定と制限がはっきりしていれば、まったく自由な発想でやりなさいというより、具体的にやるべきことがわかります。
「どうしたらいいか?なにをしたらいいか?わからない」…という状態から、何をするべきなのかをはっきりさせるのが、本来の会議の目的なんです。
報告を聞くだけ、自分の主張で相手を論破するだけ、そんなのは会議じゃないんですね。

参加者が終始笑顔で、リラックスした状態で意見を出し合う
やるべきことが具体的に見えてくる
そんな会議なら、やる意味があるんじゃないですか?

人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい


人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい。

機会が二度 扉を叩くなどとは考えるな。

人生はロールプレイイングゲームですよねー。
道中には、数々のモンスターが現れて、自分の経験値が上がれば上がるほど敵も強くなって。

実際の人間関係は、ゲームのように単純ではありませんが、深刻になりそうな時ほど、ゲームのように客観的であるべきです。
人間関係に悩みが多い人は、たいてい巻き込まれすぎなんですよ。

2010/07/16

自分の意見を持つために


今日一善を行い、明日一善を行い、積もれば大徳となる

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

「人生は教えられない」アドバイスをするだけで解決するなんて、そんな簡単なものじゃない。

人間の記憶は、聞く、見るだけでは20%ほどしか定着しないそうです。
インプットした情報を、人に話したり教えたりすることで、記憶が整理され定着するみたいですね。

目標をノートに書くなんていうのも、ひとつのアウトプットです。
書いた目標を、繰り返し読み返すことで定着し、すべての行動の基準ができるので、目標達成の確立があがるというわけですね。

なんにせよ、ふわっとしたイメージで放っておかずに、言葉にすることで明確にしておいておいたほうが良さそうです。
そもそも、言葉に出来ないようなものなら、忘れちゃっていいんじゃないですか?


信頼というニーズ


時代やテクノロジーが生み出すものもあれば、滅ぼすものもある。滅びていくものは、いつも変化に抗い、受け入れようとしないものだ。

逆境、失敗、不幸は、幸運の種子

「餅は餅屋」っていうけど、いつまでも同じ餅だけをつくっていては技術革新はできない。技術は日進月歩だから、技術屋は同じ餅だけつくってちゃ駄目なんだ。

「300年変わらぬ、老舗の味」
とかって聞くと惹かれますねぇ…。

世の中には、変わってほしくないものもありますよ、実際。

注目すべきは、ニーズなんでしょうね。
老舗の味は変わってほしくないのが、ニーズなんです。
だから、変わらないでいることが世の中のためになる。

音楽の配信、ファイル化がCDを駆逐したように、本、雑誌、新聞がネット配信され、駆逐される日も、そう遠くないかもしれません。

インターネットやツイッターが無い時代には、メディアがほとんど唯一の情報発信源でした。
巨大メディアのビジネスモデルは、ソーシャルな言論空間に駆逐されると予想する人も大勢います。

メディアは、一方的に伝えることに慣れすぎて、ニーズを訴求することをあまりしていませんでした。せいぜい、視聴率とかを物差しに、うんぬんするだけで、情報の価値とニーズについては、独善的であったことは否定できません。

ビジネスモデルは変わっても、メディアの存在価値は残るように、変化することは必要です。
情報の価値は、情報を受ける人の価値観によって、さまざまに変化するので、一概に値段を付けられないものです。
マスが崩壊しても、最後に残るもの。
やはり、信頼こそが情報に対する究極のニーズなのかもしれませんね。

僕らは人生の探検隊だ!


海のほかは何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。- サン・テグジュペリ

孫正義さんが、実業という航海には、地図と羅針盤が必要だと言っています。
たしかにそのとおりだと思いますけど、この場合の地図は未来の想像からなる地図であり、羅針盤も未来を指し示すものです。要するに、あまりあてにならない、そう簡単には、そのとおりにならない訳です。
孫さんは地図と羅針盤のほかにも、度胸や運、知恵や努力もあって、いま立派な仕事をされていると思いますよ。

未来への地図、羅針盤だけでは心もとないのですが、どちらも持っていなかったとしても航海だけはしなければならないのが人生です。
なんの準備もしていなくても、生きなければならないのですね。

だったら、できるだけ未来を思い描き(地図を持つ)、そちらに向かって行く(羅針盤を持つ)ほうが、より力強く進んでいけるのは間違いありません。
しかし、長い人生の間には、目標を持てなくなる時期もあるかもしれません。
ただ大海原をさまようような、不安な時間を過ごしたとしても、その先ずっと目標を持てなくなると思わないことです。
人生の目標というと、たいそうに聞こえますが、限りなく「興味」という言葉に近いと思うんですよ。
さまよい始めたら、子どもに戻って好奇心いっぱいに生きてみることです。
「おもしろそう!」と思うことが見つかれば、向かうべき陸地が見えたも同然です。

夢中になる前にちゃんと考えよう


ひと息ついて、誰かに笑顔を見せてごらんなさい。

有望な人間は、人が失敗だと思うところに成功を見出す。人が影と嵐を見るところに陽光を見る。

新しい商売をしようとする人、新たなイノベーションを起こそうとする人は、他人と同じ考え方をしていてはダメだと言われます。新しいものは、いつも大通りではなく、裏道にあるなんて言いますね。

だからといって、なんでもかんでも裏へ裏へ考えるようでは、成功も遠のくような気がします。
ただの天邪鬼じゃどうしようもない。

誰かの考え方に影響されるのも、時には仕方ないなぁ…と思うこともありますけどねぇ。
ただし、そのまんま受け入れちゃうのも、どうなんだろうか?と思いますよ。

影響されて、妙にハマッちゃって突っ走っちゃう人っているでしょ?
ちょっと待て!って思うんですよ。
自分で考えて出した結論があって、走っているのか?…とね。

人に影響を与えるようなオーラを持っている人って、たいてい考え方じゃなくて熱量で押してきます。
シンパの空気だけ作って、話の中身は割りとどうでも良かったりするんですよ。

他人の考え方と自分の考え方の完全一致なんて、ありえないんです。
違いが分かった上で、冷静にお付き合いするというのが、他人の考え方との正しい付き合い方だと思いますよ。