論争や討論の目的は勝利ではなく、改革でなければならない。
できるだけいつも笑顔で。そして、別れ際は必ず笑顔で。
勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る力の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。
世の中には不毛な会議が多いですね。
一方的に報告を聞くだけで、とくべつ意見が出るわけでもなく、時間だけがダラダラ過ぎていく…。
ムダですねぇ…。
会議の目的は、課題に対する意思決定をすることであって、すでに決まっていることを聞くだけなら、わざわざ大勢で顔を合わせる必要なんか無いのです。
一斉メールで十分じゃないですか。
たまに議論が熱くなる会議もありますが、相手の意見を打ち負かすことに躍起になって熱くなっているのでは、本来の目的から逸脱しています。
生産性や売り上げ向上のための社内会議の場合など、対案には間違いなく一理あるのです。
言い方や、手段が違うだけで、共通の目的には向かっているわけですから、どこかに共通項があるかもしれません。
話というのは、この共通項、共感の部分を土台に進めるべきなんですね。
僕は職業柄、企画会議という形の会議が多いのですが、アイデアの骨格は大勢で考えないことにしています。アイデアのグランドデザインは、多くの要素が入ってしまうと、たいてい陳腐化します。
自分のアイデアも、あまりにも具体的過ぎて、その枠組みの中でスタッフの個性が生きないようではダメだと思っています。
たとえば、一枚の絵を描くとしましょう。
まず、何に描きますか?
イーゼル?画用紙?スケッチブック?チラシの裏?
何で描きますか?
鉛筆?水彩?クレヨン?
何を描きますか?
人物?植物?建物?心象?
たいていの場合、このほかに、いくつかの制限があります。
このぐらいは、コンクリートした形で、自分たちの描く絵が、おおよそどのような体裁になるかのイメージを、しっかり与えることが大事です。
さまざまな制限の中で、表現の自由度を最大にしてあげることが、マネージメントであると思っています。
会議の話から、だいぶ横道にそれてしまいましたが、目標設定と制限がはっきりしていれば、まったく自由な発想でやりなさいというより、具体的にやるべきことがわかります。
「どうしたらいいか?なにをしたらいいか?わからない」…という状態から、何をするべきなのかをはっきりさせるのが、本来の会議の目的なんです。
報告を聞くだけ、自分の主張で相手を論破するだけ、そんなのは会議じゃないんですね。
参加者が終始笑顔で、リラックスした状態で意見を出し合う
やるべきことが具体的に見えてくる
そんな会議なら、やる意味があるんじゃないですか?