2010/07/20

考えている時間は「感じること」をやめてしまっている


考えている時間は「感じること」をやめてしまっているのです。

心はパラシュートのようなものです。開かれなければ、役に立ちません。

頭では理解できるのに、心が受け付けないっていうことって、けっこうありませんか?
脳科学的には、心も脳の中にある機能なわけですから、矛盾することで判断に苦しむときには、頭と心みたいに、分けて言うほうが都合がいいのでしょうか?

一生懸命なにかを考えている時って、脳をフル回転させているような気がしますけど、どうがんばっても脳の3割ぐらいしか使えないっていうのが、人間の限界のようです。
だったら、もうすこし小さく、軽くしてくれれば肩こりも解消されるかも?なんて思っちゃいますが、意識して使えない脳の7割が、実は心っていうやつの正体なのかもしれません。

放送という仕事をしていると、秒の単位で判断を迫られることがよくあります。
放送事故で人は死なないので、気楽な商売といえばそうなんですけど、番組に傷がつくのは、いろいろ後が面倒です。
構成を考えたり、台本を書いているときは、けっこう考えますが、生で放送している最中に考え込むと、たいてい事故ります。
瞬時の判断をしなければならない時は、考える暇が無いんだから、感覚を研ぎ澄まして反射神経で仕事している感じですね。

こういう仕事をしていると「考えると感じることができなくなる」というのは感覚的にわかります。
考えるのに脳を使っちゃうと、感じるセンサーに蓋をするような感じですかね?

感じた結果、なんらかの判断を下すわけですが、その判断が、できるだけ間違いの無い判断であるように鍛えるべき部分は…やはり、脳ではなく心なんだろうなぁ。

理想的な会議とは?


論争や討論の目的は勝利ではなく、改革でなければならない。

できるだけいつも笑顔で。そして、別れ際は必ず笑顔で。

勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る力の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。

世の中には不毛な会議が多いですね。
一方的に報告を聞くだけで、とくべつ意見が出るわけでもなく、時間だけがダラダラ過ぎていく…。
ムダですねぇ…。

会議の目的は、課題に対する意思決定をすることであって、すでに決まっていることを聞くだけなら、わざわざ大勢で顔を合わせる必要なんか無いのです。
一斉メールで十分じゃないですか。

たまに議論が熱くなる会議もありますが、相手の意見を打ち負かすことに躍起になって熱くなっているのでは、本来の目的から逸脱しています。
生産性や売り上げ向上のための社内会議の場合など、対案には間違いなく一理あるのです。
言い方や、手段が違うだけで、共通の目的には向かっているわけですから、どこかに共通項があるかもしれません。
話というのは、この共通項、共感の部分を土台に進めるべきなんですね。

僕は職業柄、企画会議という形の会議が多いのですが、アイデアの骨格は大勢で考えないことにしています。アイデアのグランドデザインは、多くの要素が入ってしまうと、たいてい陳腐化します。
自分のアイデアも、あまりにも具体的過ぎて、その枠組みの中でスタッフの個性が生きないようではダメだと思っています。

たとえば、一枚の絵を描くとしましょう。
まず、何に描きますか?
イーゼル?画用紙?スケッチブック?チラシの裏?
何で描きますか?
鉛筆?水彩?クレヨン?
何を描きますか?
人物?植物?建物?心象?

たいていの場合、このほかに、いくつかの制限があります。
「赤の面積は、70%以上」とか「縦の長さは40cm以下」とか。

このぐらいは、コンクリートした形で、自分たちの描く絵が、おおよそどのような体裁になるかのイメージを、しっかり与えることが大事です。
さまざまな制限の中で、表現の自由度を最大にしてあげることが、マネージメントであると思っています。

会議の話から、だいぶ横道にそれてしまいましたが、目標設定と制限がはっきりしていれば、まったく自由な発想でやりなさいというより、具体的にやるべきことがわかります。
「どうしたらいいか?なにをしたらいいか?わからない」…という状態から、何をするべきなのかをはっきりさせるのが、本来の会議の目的なんです。
報告を聞くだけ、自分の主張で相手を論破するだけ、そんなのは会議じゃないんですね。

参加者が終始笑顔で、リラックスした状態で意見を出し合う
やるべきことが具体的に見えてくる
そんな会議なら、やる意味があるんじゃないですか?

人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい


人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい。

機会が二度 扉を叩くなどとは考えるな。

人生はロールプレイイングゲームですよねー。
道中には、数々のモンスターが現れて、自分の経験値が上がれば上がるほど敵も強くなって。

実際の人間関係は、ゲームのように単純ではありませんが、深刻になりそうな時ほど、ゲームのように客観的であるべきです。
人間関係に悩みが多い人は、たいてい巻き込まれすぎなんですよ。

2010/07/16

自分の意見を持つために


今日一善を行い、明日一善を行い、積もれば大徳となる

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

「人生は教えられない」アドバイスをするだけで解決するなんて、そんな簡単なものじゃない。

人間の記憶は、聞く、見るだけでは20%ほどしか定着しないそうです。
インプットした情報を、人に話したり教えたりすることで、記憶が整理され定着するみたいですね。

目標をノートに書くなんていうのも、ひとつのアウトプットです。
書いた目標を、繰り返し読み返すことで定着し、すべての行動の基準ができるので、目標達成の確立があがるというわけですね。

なんにせよ、ふわっとしたイメージで放っておかずに、言葉にすることで明確にしておいておいたほうが良さそうです。
そもそも、言葉に出来ないようなものなら、忘れちゃっていいんじゃないですか?


信頼というニーズ


時代やテクノロジーが生み出すものもあれば、滅ぼすものもある。滅びていくものは、いつも変化に抗い、受け入れようとしないものだ。

逆境、失敗、不幸は、幸運の種子

「餅は餅屋」っていうけど、いつまでも同じ餅だけをつくっていては技術革新はできない。技術は日進月歩だから、技術屋は同じ餅だけつくってちゃ駄目なんだ。

「300年変わらぬ、老舗の味」
とかって聞くと惹かれますねぇ…。

世の中には、変わってほしくないものもありますよ、実際。

注目すべきは、ニーズなんでしょうね。
老舗の味は変わってほしくないのが、ニーズなんです。
だから、変わらないでいることが世の中のためになる。

音楽の配信、ファイル化がCDを駆逐したように、本、雑誌、新聞がネット配信され、駆逐される日も、そう遠くないかもしれません。

インターネットやツイッターが無い時代には、メディアがほとんど唯一の情報発信源でした。
巨大メディアのビジネスモデルは、ソーシャルな言論空間に駆逐されると予想する人も大勢います。

メディアは、一方的に伝えることに慣れすぎて、ニーズを訴求することをあまりしていませんでした。せいぜい、視聴率とかを物差しに、うんぬんするだけで、情報の価値とニーズについては、独善的であったことは否定できません。

ビジネスモデルは変わっても、メディアの存在価値は残るように、変化することは必要です。
情報の価値は、情報を受ける人の価値観によって、さまざまに変化するので、一概に値段を付けられないものです。
マスが崩壊しても、最後に残るもの。
やはり、信頼こそが情報に対する究極のニーズなのかもしれませんね。

僕らは人生の探検隊だ!


海のほかは何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。- サン・テグジュペリ

孫正義さんが、実業という航海には、地図と羅針盤が必要だと言っています。
たしかにそのとおりだと思いますけど、この場合の地図は未来の想像からなる地図であり、羅針盤も未来を指し示すものです。要するに、あまりあてにならない、そう簡単には、そのとおりにならない訳です。
孫さんは地図と羅針盤のほかにも、度胸や運、知恵や努力もあって、いま立派な仕事をされていると思いますよ。

未来への地図、羅針盤だけでは心もとないのですが、どちらも持っていなかったとしても航海だけはしなければならないのが人生です。
なんの準備もしていなくても、生きなければならないのですね。

だったら、できるだけ未来を思い描き(地図を持つ)、そちらに向かって行く(羅針盤を持つ)ほうが、より力強く進んでいけるのは間違いありません。
しかし、長い人生の間には、目標を持てなくなる時期もあるかもしれません。
ただ大海原をさまようような、不安な時間を過ごしたとしても、その先ずっと目標を持てなくなると思わないことです。
人生の目標というと、たいそうに聞こえますが、限りなく「興味」という言葉に近いと思うんですよ。
さまよい始めたら、子どもに戻って好奇心いっぱいに生きてみることです。
「おもしろそう!」と思うことが見つかれば、向かうべき陸地が見えたも同然です。

夢中になる前にちゃんと考えよう


ひと息ついて、誰かに笑顔を見せてごらんなさい。

有望な人間は、人が失敗だと思うところに成功を見出す。人が影と嵐を見るところに陽光を見る。

新しい商売をしようとする人、新たなイノベーションを起こそうとする人は、他人と同じ考え方をしていてはダメだと言われます。新しいものは、いつも大通りではなく、裏道にあるなんて言いますね。

だからといって、なんでもかんでも裏へ裏へ考えるようでは、成功も遠のくような気がします。
ただの天邪鬼じゃどうしようもない。

誰かの考え方に影響されるのも、時には仕方ないなぁ…と思うこともありますけどねぇ。
ただし、そのまんま受け入れちゃうのも、どうなんだろうか?と思いますよ。

影響されて、妙にハマッちゃって突っ走っちゃう人っているでしょ?
ちょっと待て!って思うんですよ。
自分で考えて出した結論があって、走っているのか?…とね。

人に影響を与えるようなオーラを持っている人って、たいてい考え方じゃなくて熱量で押してきます。
シンパの空気だけ作って、話の中身は割りとどうでも良かったりするんですよ。

他人の考え方と自分の考え方の完全一致なんて、ありえないんです。
違いが分かった上で、冷静にお付き合いするというのが、他人の考え方との正しい付き合い方だと思いますよ。

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ


人がどれほど幸せなのかは、その人の感謝の深さにかかっている。

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ。- ジミー・コナーズ

悪口を言ってると、ボキャブラリーが貧しくなる。ほめていると、頭が良くなる。

2010年のワールドカップはスペインの優勝で幕を閉じました。
今回も、忘れられない名シーンが数多くあった大会だったと思います。
普段はあまりサッカー観戦しない人も、日本代表の活躍には心躍らせたことでしょう。

興味の無かった競技でも、アスリートの一瞬の動きが脳裏にこびりつくことがあります。
人間業とは思えない動きを見ると、感嘆とも驚異ともつかない不思議な興奮が沸き起こります。
中学生のときに見たジャバのダンクシュート。バスケットボールっていうのは、リングの上から入れることができるんだっていう驚き。
6ピートを決めたマイケル・ジョーダンのショット。あの状況で決めるから、神なんだなぁ。
自分が撮影したなかでは、中田英寿のドリブル、他の選手とは明らかに違う動きでした。
イチローのフリーバッティングは、バットじゃなくてラケットで打ってるみたいでした。
船木和喜のジャンプは、飛距離もさることながら、飛んでいる姿の美しさに見とれました。

テニスで感動したのは、ジミー・コナーズとビョルン・ボルグの対決です。
メジャーな大会の決勝戦は、必ずと言っていいほど、この二人が争っていた時代がありました。
二人が一線を退き、エキシビジョンで世界ツアーをしていたときに、生で観戦することが出来ました。
試合後、二人の乗ったタクシーをバイクで追いかけて、手を振ったら、笑顔で応えてくれました。

そのジミー・コナーズの言葉が
「一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ」
勝つと負ける以外に何があるの?って思うかもしれません。
テニスに引き分けは無いですからね。

勝ちも負けもしない状態。
試合放棄しているときがそうでしょうか。

棄権していたら、勝ちも負けも無いけれど、棄権するぐらいなら試合に出て負けるほうが、得るものは大きいのだということです。
やる前から、できない理由を見つけて棄権してしまうことって無いですか?
もし、そうだとしたら、損な生き方をしているかもしれませんよ。

見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす


見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす - 松下幸之助

人生はいろいろだ。だからおもしろい。

本人の「解像度」の高さが、その人のアウトプットの質を決める。

世の中には、みずからトイレ掃除をする社長さんもいますね。
これは一種のおまじないみたいなものでしょう。
松下幸之助の言う、見えないところをきれいにするというのは、顧客に見えない事情を、たとえ知られたとしても恥ずかしくない姿勢で商売しなさいという戒めだと思います。

見えないところにこだわるといえば、APPLEのスティーブ・ジョブズも負けてはいません。
彼はコンピューターの中身の基盤の配線にまで、美しさを求めるのだそうです。
ある日、開発中のノートパソコンを見たスティーブは、エンジニアに
「この配線は汚い。やり直せ」と指示したそうです。
ぎりぎりの設計をしているエンジニアは
「こんなところ、いったい誰が見るんだ!」と反論。
それに対してスティーブは
「僕が見る!」と言ったそうです。

こんな人がCEOだと、まわりは本当に大変だと思いますよ。
人の目に触れないところまでこだわりまくるわけですから、外観のデザインなんかOKが出るまでどれだけ試作品が作られていることやら…

APPLEのプロダクトデザインはジョナサン・アイブ率いるデザインチームの仕事です。
彼らの仕事は、おそらくデザインの歴史に大きな足跡を残すでしょう。
究極のデザインとは、これ以上削るものが無いというところまで、引き算ができているものだといいます。APPLEのプロダクツは機能美の極致とも言えます。

パソコンにしても、スマートフォンにしても、数値的なスペックではAPPLEの製品に勝るものはいくらでもあります。日本のメーカーは、この数値に表せる部分でスペック競争をしますが、カメラが何万画素だろうが、ユーザーの満足度にはあまり関係ないのかもしれません。

美しいものを持つ喜びと、快適な使用感の絶妙なバランスが、いまのAPPLEの最大の強みです。
機械なのに情緒的…
それをアメリカ人にやられちゃってるのが、ちょっぴり悔しい気もしますね。

2010/07/15

愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの


人生の意義はあなたが人生から逃れることでなく、何を与えるかなのです。これがわかれば人生は豊かになります。- マーチン・ルーサー・キング

愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。- ジョン・レノン

信じると決めたなら、何も語らず、疑うことなく、心から信じるのです

展示会や品評会に出品するために花を育てる人がいます。
その手間のかけっぷりといったら、半端じゃありませんね。
自宅に温度と湿度をコントロールできる温室を作り、日照時間にあわせて水やりの時間を調整して…。
きれいな花を咲かせるために、寝る間も惜しんで世話をする、丹精こめるというのは、まさにこういうことなんだなぁ…と感心してしまいます。

ランは育てるのが非常に難しく、ちょっとしたミスですぐに萎れちゃったり枯れちゃったりするみたいです。自分のパートナーがランみたいに難しい人だったら…と思うと、こっちが萎れてしまいそうですが…。
そこまで気を使わないまでも、毎日水をやり、お日様に当ててあげるぐらいはしなきゃいけません。
大切なのは、ちょっとずつでも毎日欠かさず気にかけるということなのでしょう。
忙しい毎日を過ごしている人も、自分のことで精一杯、仕事が頭から離れない人も、自分の花に水をやるぐらいの時間は作れるでしょう。
なにげない会話だったり、ハグだったり、小さなコミュニケーションを忘れてしまうと、大切な花が枯れちゃいますよ。

「飛べる」と信じたことが素晴らしい!


愛するとは、自分の幸せを他人の幸せに重ねることである。

飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ

何事も前向きに行動することが可能性を生む。- イチロー

人間に備わっている素晴らしい能力のひとつが「想像力」
人間以外の動物は、未来を想像してワクワクすることは無いそうです。

ライト兄弟が飛行機を発明する前の時代の人々も、鳥のように空を飛べたら気持ちいいだろうなぁ…と想像していたに違いありません。
ただ、自分には翼が無い。
多くの人が、空を飛ぶなんて無理…と、あきらめていく中で、本気で飛びたい、飛べるはずだ、よし、飛ぼう!と決意した人が、行動に移して初めて人類は空を飛んだのです。

もし、ライト兄弟が常識にとらわれる人だったら、できるわけないという気持ちに負けていたら、考えるだけで実行しなかったら、飛行機の歴史は大きく変わっていたでしょうね。

要するに、人間が飛躍するためには
  • 常識にとらわれない!
  • できると信じる!
  • とにかく実行!
この3点なのだと思います。

大発明じゃなくても、日常の中に小さなイノベーションを起こして、変化を楽しむっていうのも良いじゃないですか!できると信じて、実行しましょ!

幸福な人生を歩んでいる人の言葉


幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。

本当の答えはすでに自分の中にある。

対立するのは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているからではなく、双方が自分の価値観に従って生きているからです。いわば、どちらも「理想を追い求める人」なのです。

幸せな人は、常にまわりに感謝しています。
感謝しているから、優しい言葉、気遣いのある言葉で話します。
そういう人の周りには、自然に優しい人、気遣いの出来る人が集まってきます。
感謝の気持ちを持つと、幸せを引き寄せることができるのです。

対立した意見を持っている人に対しても
「なるほど、そういう考え方があるんだなぁ」
「立場上、やむを得ず言っているのかもなぁ」
と、とらえることが肝心です。

意見が違う人を、いちいち嫌っていたら、この世は嫌いな人だらけになってしまいますよ。

2010/07/13

弱いものいじめしてるうちは、成長なんかできないよ。


あなたに文句を言えない立場の人を決していじめてはいけない。

ノックダウンされたかどうかなんて、たいした問題ではない。 大事なのは立ち上がるかどうかである。

日本はなかなか不況から脱却できませんね。
官僚依存の中央集権、大きな政府によるばら撒き政策、国際標準を無視して内向きの市場をターゲットにしてきたことによる国際競争力の低下…
デフレから抜け出せない原因は、いろいろ分析されています。

いまの日本は、国としてのシステムが疲弊しています。
ずいぶん時代が逆行しているような気がします。
派遣切りの問題、企業の金融資産は増えているのに給与が上がらない。
支配する者とされる者の格差が広がり、まるで庄屋と小作のような関係です。

事業が複雑化していくとき、システム的にアウトソーシングしていく流れは、効率からいっても正しいのですが、そこで元請の無理を下請けが聞かざるを得ない状況はいけません。
業界全体が苦しいときに、下請けが最も苦しみ、元請はたいして痛みを感じていないという構図がずっと続いています。
製造業中心で国全体に勢いがあったころは「次で埋め合わせするから!」が通用したのかもしれませんが、今はそのやりかたじゃだめですね。次が期待できませんから。

製造業では、人件費の安い国にかなわなくなってしまいました。
中国やインド、韓国のやっていることは、かつて日本が国際社会に対してやってきたことなのですから、文句を言えるわけがありません。

いま、飛ぶ鳥を落とす勢いのAPPLEのやっていることを見ると、これもまた、かつて日本がやってきたこととそっくりです。
携帯音楽プレーヤーもスマートフォンも、タブレットPCもAPPLEが最初に手がけた製品ではないのに、ヒットするのはAPPLE製品ばかり。
半導体を発明したのはアメリカ人なのに、それに改良を加えて美しいプロダクトデザインでトランジスタラジオを世界的にヒットさせたSONYと重なって見えます。

日本人は既存のものをアレンジするのが得意なはずなんです。
世界には、個人の能力を、支配的にではなく自発的に発揮させる、多くのノウハウがあります。
時代を逆行させて、大昔のスタイルに戻っている場合ではありません。
いまこそ、日本流のビジネスエコシステムを構築すべきです。
ゼロから考えなくたって、アイデアの種は世界中にあるのですから、アレンジすればよいのです。

敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう


敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう。復讐をすれば相手と同じでしかない。許すことができれば、相手を乗りこえることができる。

大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに

天才とは複雑なものを単純なものに変える能力である。

「人はなんのために戦うのか?」
権利を主張するため?
利益を守るため?
戦うには、主義主張が必要です。
戦いに費やす膨大なエネルギーを考えれば、できたら戦わずに済ますのが、もっとも賢い選択であることは言うまでもありません。

でも、人は戦うのです。
生まれた時代と戦い、自分の宿命や運命と戦います。

時には自分自身が敵になっていることもあります。
己の不明、無知、弱気が敵であることもありますね。

人類の歴史は、戦いの連続でした。
戦争は人間が創った最もおろかな発明品です。
勝った国にも大きな被害があり、負けた国は理不尽な要求とともに滅びる。
こんな意味の無いものはありません。

いまも世界のどこかで戦争が起こっています。
つらい現実と向き合って、耐え忍んでいる人がいます。
戦争があるために、自由な人生の選択ができない人がいます。
悲しいですね。

国と国の間には、文化や習慣、考え方の違いはあってあたりまえです。
どんなに間違った考え方をしている国があったとしても戦争で解決しようとするのは間違っています。
罪も無い人を巻き込むのは間違っています。
間違っているのは、いつも一部の指導的立場の人々なのですから。

敵を傷つければ、敵以下の存在になる。
忘れてはいけません。

なんだか重たい話になってしまいましたが
いま、ちょうど2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会の真っ最中。
日本は決勝トーナメントに進出しましたが、パラグアイと延長戦まで戦い、PK戦で敗退しました。
残念という声もありますが「よくやった」と代表チームを賞賛する声も多く聞かれます。
誇り高き大和魂をピッチの上で、存分に表現してくれた選手たちに感謝したいです。
負けて悔いなし。
「さわやかさが残る戦い」とは、こういうことなんですね。

人生は戦いです。
自分のできることを精一杯やって、全力で走りましょう!

ありのままの自分でいることを厭わぬこと


幸福の要は、ありのままの自分でいることを厭わぬこと

一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思案することだ。

すべてを納得すれば、心はきわめて寛大になる

ありのままの自分と向き合うのは、なんだか恥ずかしいものです。
人間には、逃れようのない欲と付き合いながら生きていくものですから、若いうちに禁欲的な思想と出会うと、自分はなんてあさましいのだろうと自己嫌悪に陥ってしまうかもしれません。

食欲、性欲、金銭欲、名誉欲…あげればきりが無いぐらい人は欲にまみれています。
欲を持つことが、すべていけないというわけではありません。
なにかを得たいという欲求は、モチベーションにもつながりますから。

知っておかなければならないのは、どんなにストイックな生活を望んでも、すべてからは逃れられないということです。逃れられないのなら、上手に付き合うしかないでしょ?

たとえば、人は食べなければ死んでしまいます。
最低限、必要な栄養は摂らなければなりません。
食欲をゼロにするのは不可能ですから、受け入れなければいけません。

欲から逃れることができないのだから、欲におぼれず、コントロールする技術を身につけることです。
欲があることを恥じるのではなく、小さな幸せをかみしめながら、ミニマムに生きることができれば美しいですね。

キミ自身が決意し、貫く


人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ -  岡本太郎

他人への本当の優しさ、自分と違うものへの寛容さは、これからのグローバル市民にとっては必須の資質だ。

忍耐の草は苦い。だが、最後には甘くやわらかい実を結ぶ。

人生は決断の連続です。
「きょうのお昼は、なにを食べる?」
これも小さな決断です。

こんな小さな決断でも、なかなか自分では決められない人もいますね。
こだわりが無いのか?決めるのが面倒なのか?優柔不断なのか?
自分で決めないのは、あまりいいことではありませんよ。

自分の意思で決めなかったことに対して、あとで不利益を被った場合、たいてい人のせいにしたくなります。これがいけません。自分で決めなかったことほど、後悔も大きいものです。

あなたの周りに、自分で決められない人がいたら、いきなり全部を決めさせるのではなく、いくつか選択肢を示して、その中から選ばせましょう。

「きょうは何を食べる?肉?魚?」
子どものころから、自分で選び、自分で決めることを習慣にしていけば、やがて迫られる大きな決断の前でも怖気づくことはないでしょう。

「疲れた」という言葉


未熟な愛は「あなたが必要だからあなたを愛します」成熟した愛は「愛しているからあなたが必要です」

疲れを生み出すのは、仕事や遊びではなく、「疲れた」という言葉だ。

一回の成功は何百回の失敗をぬぐい去る。

生きていれば、面倒なことに出くわすし、疲れるんです。
面倒なときに「面倒だ」
疲れたときに「疲れた」
と、口に出して言うことは、それこそムダなんです。
言ったところで、面倒がなくなったり、疲れが取れたりしないのです。

2010/07/05

あなただけが贈ることのできる贈り物


あなたには、あなただけが贈ることのできる贈り物があります。 それを贈るのです。

心の力が勝れば、運命は心の支配下になる

機会が二度 扉を叩くなどとは考えるな。

優しさも愛情もお金も、満ち足りることを知らない人は際限なくほしがります。
ほしがっているうちは、いつまで経っても満足なんてしないのです。

どこかに線引きが必要です。

たとえば、世界でも有数のお金持ち、APPLEのCEOスティーブ・ジョブズは、いつも同じ黒のロングTシャツ、ジーンズにニューバランスのスニーカー姿です。肉を食べないベジタリアンです。
非常にストイックで慎ましく生きている人か?と思えば、ビジネスの世界では飽くことを知らぬ貪欲さも見せます。
しかし、彼は、お金がほしいから仕事しているのではないと思います。
実際APPLEからの年俸は1ドル!だそうですから。
何に価値を見出し、何を切り捨てるのか?
非常にはっきりしている人なんですね。

そして、もうひとつ大事なことは、ジョブズが人類に対して偉大な贈り物をし続けているということでしょう。これからも、世界中に贈り物をしたいから、会社を大きくして稼いでいるような気がします。

満足したら、必要以上に手に入ってしまうものです。
自分に必要ない分を、人に贈ることよって、幸せの連鎖、感謝の連鎖が生まれます。

人間、生まれたときは素っ裸。
墓の中まで持っていけるものなんか無いわけです。
生きた証を遺すとしたら、感謝や優しさのいっぱいつまった思い出でありたいものです。

変化こそ唯一の永遠である


変化こそ唯一の永遠である

学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。

あなたは完璧じゃない、それでOK!

自分自身も、自分をとりまく環境も、変化するのがあたりまえ。
なにもかもが、時間とともに変化していくのです。
変化を拒むことは、生きることを拒むことに等しいのです。

変化には長い周期のものもあり、短い周期のものもあり、自分にとって有利な変化もあれば、不利な変化もあります。
まずは、適応してみることです。
悪い変化に対しては、抗うように自分が変化してみるのもいいでしょう。
なにしろ変化することだけは避けられないので、きょうの正解にこだわる必要も無く、明日には明日の正解を求めて変化して行けばいいのです。

変わり続けることだけが永遠なのですから、未来には答えも変わっていきます。
完璧な自分を求めるのはムダなのです。
できるだけ正しい答えを出しながら、成功体験にこだわらず、時代に応じた変化をしていくことが上手に生きるコツですね。

批判は華麗にスルー


行動は俺のもの、批判は他のもの、俺の知ったことじゃない。- 勝海舟

欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ。- 本田宗一郎

他人の批判に対して「俺の知ったことじゃない」と言い切れるのはスゴイですよ。
よっぽど独善的か?自信家か?鈍感なのか?

普通、批判されると良い気持ちはしないものですが、批判ってやつは時々、大いなる示唆を含んでいたりしますから、全部聞いてもいけないけど、全部無視してもいけないのです。
ネットだとスルーできるような発言も、リアルだとスルーできない人も多いようです。
でも、ちょっと考えてみてください。
ネットもリアルも、最近はかなりオーバーラップする部分が多いですよね。
人との会話、コミュニティの形成、買い物なんかもネットとリアルの比率が半々、ネットのほうが多いかも?です。

ネット上での"スルー力"って、けっこうリアルな生活の中でも応用が効きますね。
華麗なるスルーは、COOLな感じもします。

リアルでなかなかスルーできないのは、客観的になりきれないからでしょう。
批判というやつは、かなりの確立で攻撃性を持ち合わせていますから、自分が冷静に客観的になることによって攻撃をかわし、有効な部分だけを抽出することができるようになります。

仕事に支配されるな!


未来は、明日ではなく今日やっていることで創られる

会社や他人に人生をコントロールされがちな日本社会だが、だからといって、会社や他人があなたの人生に責任を持ってくれるわけではない

自分のもてる能力を人のために使おうという人には、不思議と人望がついてくるものです。

目の前に現れる仕事を、好き嫌いとか、気が進むとか進まないとかで区別してたら効率が悪くて、さっぱり進みません。自分だけの仕事で問題を先送りしているなら、後で困るのは自分だけかもしれませんが、チームの一員として仕事のある部分を担っている場合は、チーム全体の進捗に影響が出てしまいます。

まずは、目の前の仕事をこなす…大切なことなのですが、これだけでは長い仕事生活を充実感を持って走り続けることは出来ません。

仕事とは、そもそも誰かの代わりに自分の能力を発揮したり時間を提供したりすることです。
そして、その行為に対して報酬をもらうことです。
誰かの役に立っていないのなら、それは仕事とは言えません。
上司の役に立っても、顧客の役に立っていなければ仕事とは言いません。

誰かにコントロールされ、やらされているという意識では、成果も期待できないし、第一楽しくないでしょう。誰かからの指示であっても、仕事はすべて自分のものとして扱うべきです。
自分の仕事によって、どこかの誰かが喜んでくれることを常にイメージできるようになると、おのずと支配されている気持ちもなくなりますよ。