2010/06/29

ポナペのじいちゃんは、陰口なんて言わないだろう


もっとも不愉快なことは、最大の敵が面と向かって述べることではなく、最良の友が陰でこっそりささやくことである。

たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。

使ったところが強くなる。頭でもからだでも。

「陰口はいけない」と、よく聞きますが、自分は陰口を言わないので、どんな悪影響を被るのか知りません。自分が言うのではなく、人に陰口を言われていることって、あるのかもしれないけど、どうも人のうわさとかに疎いので聞こえないのです。聞こえてきても、あまり気にしないでしょうけど。

陰口は言わないけど、人にまったく意見しないわけではなく、面とむかっては、けっこう言ってます。若いころから、どんなに偉い人にでもズバズバ言ってしまう方だったので、陰でブツブツ言ってる人より、よっぽど扱いづらい奴だったかもしれません。

サラリーマン生活20年を越えた現在でも、基本的にはズバッと言う姿勢は変わらないのですが、ひとつ憶えたことがあります。
「人は、立場上、やむを得ず言わなければならないこともある。」
ということです。
本意ではないけど、組織の立場上、厳しいことも言わなきゃならない…みたいなやつです。

若いころは、人格が言ってるのか、立場が言わせているのか区別がつかなくて、気に入らないことには噛み付く人間だったけど、近頃はわりと、区別がつくようになりました。
立派な人ほど、自分の発言に言い訳をしないので、立場上、言わざるを得ないのだな…と感じたときには、ちょっと同情したりもします。

まあ、上司の文句は酒の肴、サラリーマンのストレス発散とも言われますから、度を越さなければ許されるんじゃないですかね?


話は変わりますが…
「たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。」
この言葉で、思い出したシーンがあります。
以前、ミクロネシアのポナペ島に取材で行った時のことです。
街の中には、車が走り、それなりに近代化されていましたが、ちょっと田舎に行くと、川でうら若き乙女たちがハダカで水浴びや洗濯をしていたりします。
一瞬、見てはいけないのかな?と思いますが、向こうから手を振ってきたりします。オッパイぷるんぷるんさせながら。
なんとも、のんびりした島なのですが、ポナペで究極の「のんびりじいちゃん」と出会いました。
毎朝、7時ごろ、僕たちは取材に出かけていました。じいちゃんは、その時間にはもう自宅の玄関先にすわって海を見ています。
はじめは、なにかを監視しているのか?と思いました。
でも、毎日、同じ場所で、あぐらをかいて、ただ海を見ているのです。
朝だけではないんです。
昼飯時に見ても、取材が終わって夕方に見ても、同じ場所で、同じ姿勢で海を見ています。
夜にはいなくなりますから、生きているのは間違いないんですが、おそらく毎日10時間以上、海を見て過ごしているじいちゃん。
何を思って、そうしていたかは謎ですが、秒の単位でせきたてられる僕の一日と、海を見つめるじいちゃんの一日が、同じ24時間だとは信じがたい思いでした。
じいちゃんは、何もしてないのに、僕よりリッチな時間を過ごしているような気もしました。

「たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。」
僕の人生はそうかもしれません。
でも、あのじいちゃんの人生は、この言葉を超越していましたね。

運命と宿命の違い


運命のなかに偶然はない。人間は運命に出会う以前に、自分がそれをつくっている。

愚か者は自分を賢いと思い、賢者は自分が愚かなことを知っている。

魂を向上させる意志を持って、生きたほうがいい

運命と宿命の違いって知ってますか?
似たようなニュアンスの言葉ですけど、運命は能動的で、宿命は受動的なものと、僕は解釈しています。
宿命は人生に設けられた関門であり、これはイヤでも通らなければならない道です。
一方、運命は選択した道の上に現れるので、選びかたしだいで、出会うこともありません。

宿命が「この世」という学校を卒業するための必修科目だとすれば、運命は選択科目であるとも言えます。
人は、かならず、この世を卒業しますから、宿命という必修科目だけは、きっちりと単位を取らされます。
生きる時間の長さとか、男だとか女だとか、まったく関係ありません。
生まれてすぐに、死んじゃう赤ちゃんも「一度生まれて死ぬ」という単位を取得して帰っていきます。

宿命は、あらかじめ用意されているものなので、抗ってもムダです。
また、難関をクリアした場合も、それが宿命ならば人生の評価ポイントが上がるわけでもありません。
人生の差がつくのは、自分で選択した運命を、見事達成、成就したときです。

運命と宿命を見分けるのは、さほど難しくはありません。
自分が選んだことか、そうでないかの違いです。
自分で選んで歩まぬ者は、当然、良い運命と出会うこともありません。
宝くじも、買わなきゃ当たらないし、バットは振らなきゃヒットも出ないのと同じです。

たくさんじゃなくてもいいし、小さなことでもいいのです。
自分で選んで、自分の運命と出会ってください。

2010/06/28

自分の器が小さいから過敏に感じる


悩みも苦しみも、自分の器が小さいから過敏に感じる。

人の将来の成功は忍耐によって得られる。長い間耐えることができない者は、その希望するところのものを失う

忠実であるべきなのは、なによりも自分にたいしてである。なににもまして、自分だけは、裏切ってはならない。

人間は、そもそも不公平という多様性をもって生まれてきます。
なんの苦も無く生きていく人も、いるにはいます。
なにも耐え忍ぶことなく見えるかもしれませんが、魂のステージは、さほど上昇しません。

「若いころの苦労は、買ってでもせよ」と言いますが、人生での苦労の絶対量が決まっているとしたら、あとで楽になるし、苦労に対する免疫がつくという意味ですね。
なにごとにも動じることのない状態を「悟りの境地」といいますが、苦しみを受け入れ、なにごともなかったかのように生活できるほど心が強く鍛えられれば、人生の目標はほぼ達成できたようなものです。

60歳定年という“常識”を疑ってみる


黙っているほうが安全だという雰囲気は非常に危険だ

世の中の大多数が言う"常識"を疑ってみることは、生きていくうえでとても大切なことなのです。

ヒット商品は、企画段階では、全員が発売に反対したものが多いという。

日本は世界一の長寿国ですね。
60歳で定年を迎えた人が、その先に20年の人生を生きることになる。
60歳以降、仕事をする人は別として、年金以外の収入の道が無いままの20年は長すぎますね。
100歳まで生きちゃったらどうしよう?
不安になりますね。
日本の個人金融資産が、市場に出てこられないのは、この不安があるからなんです。

デンマーク人は貯金をしないそうです。
税金が高い代わりに、死ぬまでの生活をきっちり保障する制度があるからです。
税金が高いことに対する国民の不満はほとんど無く、安心して人生を国に任せているということですね。国が、国民の人生の最後まで保障できるのであれば、高齢者だけではなく、人生半ばの失敗も、恐れることなくチャレンジできるようになるかもしれません。
そういう意味では、社会保障の充実した北欧の諸国は、政府と国民の間に、強い信頼関係があり、言い換えれば高度な政治をしているということになるかもしれません。

こうした制度を、いきなり日本にあてはめるというのは、いささか乱暴なのかもしれませんが、いまの日本にできることはあると思います。
まず、仕事は60歳以降も続けるということです。
日本の場合、企業が60歳までのセーフティネットとして機能しています。
60歳以降の就労を活発にして、高齢者の収入の道を年金以外に求めるということです。
天下り法人を作る金があるなら、60歳でリスタートする組織を作る事だってできるはずです。

仮に景気が回復しても、日本人の消費動向は、バブル時代の高額商品、大量消費みたいなことにはならないでしょう。消費者としては、賢く大人になったんだと思います。
内需で税収を上げるには、年齢構成にあわせて、フレキシブルに労働人口を確保して、高齢者も所得税を納めることができる社会を目指すべきです。
もちろん、働きたくない人に強要するものではなく、60歳で選択的にリスタートできる社会を作るべきなんですね。

2010/06/23

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である


最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である

細かいところにこだわるのは欠点ではありません。細かいところへのこだわりがないと、仕事はずさんになってしまいます。 そのとき大事なのは、同時に全体を見る目を失わないようにすることです。

自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することである。

僕は大学受験に一度失敗して、予備校に行かずに自宅浪人をしました。
自宅で浪人生活をしていると、教えてくれる先生や友人もいないわけです。
最初の3ヶ月ぐらいは、その状況に戸惑いを感じていました。
でも、戸惑ってばかりいても何も好転しないわけで、教わらずに学ぶことを実践したのです。

自分にモノを覚えさせるには、コツがあります。
これが誰にでも通用するような方法であれば、その方法を教えることで、けっこういい商売になるかもしれません。
でも、人に個性があるように、ものを覚えるツボも人それぞれなので、汎用的な手法は無いのかもしれません。

ひとつ言えるのは「モノを覚える自分なりの方法」を会得してしまえば、その先の人生にずっと応用が利くということです。

日本の教育は、他人の話を聴く力を身につけさせますが、自分なりの方法論をもって自分を教育する方法を教えません。感じたり、考えたり、その多様性を許していない気がします。

常識を疑うことも無く、多様性を認めないまま大人になってしまうと、働き始めてから労働ロボットとしては優秀かもしれないけど、柔軟な発想ができないとか、革新的なイノベーションや変化に対して後ろ向きになるとか、いろいろ弊害が出てきます。

自宅浪人をオススメするわけではありませんが、できるだけ若いうちに、自分にあった学ぶ方法を身につけて、それが他の人と全然違うことを自覚したほうがいいですね。
学ぶことは、いくつになっても要求されるものですし、パターン化することによって学ぶこと自体、苦にならなくなりますよ。

今日、習ったことを、今日、活かす


今日、習ったことを、今日、活かすのです。

成長する限り、問題は起こって当然

昨日と同じことをやり続けるだけなら企業には経営者はいらない

「どうしても身につけなければならないこと」があるのなら、実践するしかありません。
話を聞くだけで、身につくことなんて、まず無いのです。

子どもに平仮名を教えるとしましょう。
"あ"という字はこう書くのよ…と見せるだけの人はいないでしょう。
かならず紙と鉛筆を渡して、書かせてみせますよね。

一度覚えたとしても、使わなければ忘れてしまうのも、人間のやっかいなところで、やはり実践しないと記憶の継続性もない訳です。

イチローはヒットを打てる理由を問われて、単純な練習の繰り返しに過ぎないと答えています。
もちろん素質もあるでしょう。
考えながら、練習してるでしょう。
でも、毎日バットを振らなきゃ、イチローだって打てないんですね。

"あ"という字を書けるようになった子どもは、百回書けば、"あ"という字を忘れないでしょう。千回書けば"あ"という字を上手に書くことができるようになるでしょう。
単純なことも、馬鹿にせず愚直に続けることが、上手への一本道なんでしょうね。

他人に変って欲しければ…


親密な仲にも隙間をあけるがよい、二人の間を天の風が舞うように

他人に変って欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。- マハトマ・ガンジー

「自分の人生」を生きている限り、それがどんなに苦しいものであろうとも、人は後悔しません。

他人に変わってほしい時って、どんな時でしょうか?
あなたの身の回りに、変わってほしい人はいますか?

仕切れない上司
仕事しない同僚
できない部下
冷たいやつ
おせっかいな人

まあ、いろいろいるかもしれません。
こういう人に出くわしたとき、あまり気にせず淡々としていられる人はいいのですが、気になって仕方がない人は、とんでもないストレスを感じるのでしょうね。
気になりだすと、ついつい文句が口をついて出てしまいます。
いつのまにか、あなたも文句の多い迷惑な人の仲間入りですね。

そもそも、他人は変わらないものだと思います。
自分自身を変化させることの大変さを思えば、他人が変わる、まして人の影響で変わるなんて事は一種の奇跡ですよ。
それでも、実害があるときは、変わってもらわなきゃならないこともあります。

さて…どうしましょう?

ガンジーは、自ら変化の原動力となれ
と、言っています。

難しいですよ…
だいたい、変わってほしいと思う人に、それほどの思い入れは持てませんから。
親身になり、愛情を持たないと「変化の原動力」にはなれません。
そこまでするかな?
自分が柔軟に対応できるように変化しちゃったほうが早いような気がしますね。

どんなに仲の良い人とでも、距離感を誤ると、摩擦が生じるものです。
相手によって、その距離は違いますが、かならず適切な距離があります。
毎日イヤな人と顔を合わせなければならない切ない状況でも、精神的な距離というのは自分でコントロールできるはずです。

人生の達人になると、イヤな人からも、何かを学び取って自分の栄養にしてしまうみたいですね。
そういうふうにできれば、自分にとって害になる人間なんていないわけですから、生きるのが楽になるんじゃないですかねぇ。

まぁ僕は、まだまだですけど…。


2010/06/22

迷ったら「イエス」と言ってみる


多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ - モーツァルト

あなたが思うほど、人はあなたの言い訳を必要としてはいない。

迷ったら「イエス」と言ってみる

iPhoneのOSがバージョンアップされて、マルチタスクに対応しましたね。
「マルチタスク」というと、できるビジネスマンが様々な案件を矢継ぎばやにこなす姿が想像されて、なんだかカッチョイイのですが…。
コンピューターは、メモリーやCPUの進化でたくさんの命令をいっぺんに処理できるようになりました。
人間も進化すれば…と、淡い期待を持ってしまいますが、人間ってマルチタスクをやろうとすると破綻するみたいですね。特に男性は…。

「人間の場合、同時進行は2つが限界」という話を聞いたことがあります。
大量に仕事があるときも、時間を細分化して、一定の時間にひとつのタスクをこなす方が効率的だとも言われています。仕事が出来る人ほど、時間の使い方が上手なのは間違いない事実ですね。

さて、きょうはもうひとつ…YESについて
以前、ジム・キャリー主演の「イエスマン "YES"は人生のパスワード」という映画を観ました。ざっとあらすじを紹介しますと

銀行で貸付を担当するカール(ジム・キャリー)。
来る日も来る日もローンの申し込み用紙に「却下」のスタンプを押し続ける。
3年前の離婚以来、変わりばえしない日常。
昇進 の話も立ち消え、すべてがうまくいかない。
踏んだり蹴ったりの人生を送るカールは、旧友のニックから自己啓発セミナーへの参加を勧められる。セミナー会場は「YES!」と連呼する人々の異様な雰囲気に包まれていた。
カリスマ主宰者のテレンスは、新参者のカールに「どんなことがあっても"YES"と言い続ける誓い」を強要する。会場の空気に呑まれたカールは思わず、 "YES"と誓約してしまう。

なんでも "YES"と言わなきゃならないんですから、大変です。
「車で送って」「携帯電話を貸して」「金を貸して」と、どんどん要求がエスカレートするホームレス相手に"YES"と答え続けたカール。携帯電話は電池が切れ、財布は空になり、車はガス欠に。

ジム・キャリーの真骨頂、底抜けに楽しいコメディーなんですが、大いに示唆も含まれています。
"YES"と言うことを強いられているうちに、だんだんと考え方がポジティブに変化していくのです。
考え方が前を向くことで、主人公は踏んだり蹴ったりの人生から脱却していくのですが、そのプロセスもなかなか面白いので、観てみてください。

日本でイエスマンというと、あまり良いイメージはありませんが、どうせやらなきゃならないことなら、前向きにYESと言ってみる事です。
できたら、その中に楽しみをみつけてみてください。
ジム・キャリーはなんでもかんでもYESと言わされて、ひどい目にもあいますが、人生が開けました。
なんでもかんでも"楽しい"と思うことで、人生は明るくなりますよ。

正直であること、一生懸命働くこと


結局、一番大切なのは、自分に、そして愛している人たちに対して正直であること、また一生懸命働くことです。- マイケル・ジャクソン

長距離を走るときに、もっともたいせつなのは、ペース配分です。

マイケル・ジャクソンのTHIS IS ITは劇場で観ました。
あれは映画じゃないと批判する人もいますが、そもそも本人が確認するためのリハーサル映像をつないでるだけなのだから、いわゆる映画と思って観ること自体が間違ってますよね。
僕は、単純に感動しましたよ。
十分にお金を払う価値のあるコンテンツだと思いました。

マイケルは間違いなく天才です。
動きを見ているだけでも、驚きがあります。
人間は、ああいうふうに踊れたり、歌えたりするんだ…と溜息が漏れます。

天才は、孤独なものらしいですね。
彼らにしか見えない世界を見てしまうからでしょうか?
アイルトン・セナも、時速300kmでコーナーを曲がるとき「神を見た」と言っています。

普通の人間じゃない、と自覚することが彼らには必要だったのでしょうが、同時に同胞のいない寂しさも味わうのでしょう。
それゆえに「普通の人間でいたい」という欲求も、普通の人間以上に持ってしまうのかもしれません。

天才マイケル・ジャクソンの遺した言葉も、驚くほど単純です。
正直であること、一生懸命働くこと

天才がなりたかった人間像は、結局、人間ならば誰でもなれるものだったんですね。

気分に考えが引っ張られちゃダメ


成功する人たちは奇跡を待ちません。奇跡は起こすものだと考え、奇跡を起こすべく自分の知恵と時間を使います。

人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが、その人間に疲れたのだと思えば、間違いはない

人生における七転び八起きも、つまりは天の与えてくれた一種の気分転換の機会

ダメな時のネガティブシンキングほど害になるものはありません。
ダメな状態が、自分のミスで起きているにせよ、他からの影響で起きているにせよ、です。

ダメな時に、気分が落ちるのは仕方ないのですけど
「気分」と「考え」は別物ですからね。

気分に考えが引っ張られちゃダメなんです。
いい時も、悪い時もダメです。

2010/06/14

プライベートのTASKは空にしない


私たちのほとんどは「やるべきこと」がなくなってから、リラックスしようと考えている。人生の「書類入れ」がカラになることはぜったいにないのに。

弱い人間は率直になれない

正直に自分の無知を認めることです。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れます。

日本人は休みをとるのが下手だと言われています。
イタリア人の昼休みの長さや、オーストラリア人の1ヶ月のバケーションなんて話を聞くと「よく、平気でそんなに休めるものだ…」と思ってしまいます。
やはり、僕も日本人なのでしょうね。

でも、これって単にお国柄の違いっていう話なのでしょうか?
日本人は、休みが取れないのではなくて、有意義に休めないのではないでしょうか?
日本人は、勤勉だと言われますが、実は休みを与えるとサボってしまうのではないでしょうか?

ゆとり教育は失敗しました。
本来は、学校に拘束される時間を減らして、高度な勉強をしたい人は勉強をし、音楽、芸術、運動などの能力を伸ばしたい人は、そのために時間を使う、というのが目的だったはずです。
でも、ゆとり教育で育った子どもたちは、単純にサボってしまった。
まあ、子どもですから無理も無いのですが…。

では、大人に休みを与えると、どうなのでしょう?
実際、あまりいいことは起きないですね、日本では。
仕事以外のTASKを持っていない人が多いのです。

仕事のTASKは、週末には空っぽになるほうがいいのです。
でも、プライベートのTASKは、いつもいっぱいのほうがいいのです。
そうすれば、いつでも意味のある休みが取れるのです。

プライベートのTASKなんて…とバカにしてはいけませんよ。
人生って、プライベートで出来ているのですから…。

人生は自転車に乗って走ろう


あなたには、あなただけが贈ることのできる贈り物があります。 それを贈るのです。

人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。- 松下幸之助

人生において、事をなすというのは、普通の人間にとってはハードルの高いことです。
自分のことや、自分のまわりのことで精一杯で、範囲を広げて「世のため人のため」に生きるなんて、並大抵ではできません。

でも、小さな範囲でしか影響の無い生き方であっても、それを嘆く必要はないのです。
自分は小さい人間だなんて思わずに、いま居る場所で、精一杯生きているだけで、人生の修行としては十分だと思います。

それぐらい、生きていくことって大変なことなんですね。

生きていくためには、食べなければならない。
食べるためには、お金を稼がなければならない。
死ぬまで、食べなければならないというのは、プレッシャーですね。

プレッシャーを感じながら、毎日一歩ずつ歩くのはたいへんです。
だからこそ、人生は歩いているのではなく、自転車に乗っていると思ったほうがいいのかもしれません。
自転車は、止まっちゃうと倒れますが、一生懸命漕いだら、しばらく惰性で走ることもできます。
坂道を下るときには、黙っていても走ります。
追い風のときにも、漕がなくても走ります。

自転車で風を切って走るのは気持ちのいいものです。
プレッシャーを感じて歩むより、気持ちよく自転車に乗って人生を走りましょう!

2010/06/10

悩んだことのない人は、人を動かすことはできない


一番ほしいものというのは、そう簡単に手に入るはずがありません。すぐに手に入るなら、すでに持っているでしょうから。

他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。- 本田宗一郎

親しくなっても、なれてはいけない

弱かった自分、ダメだった自分。
そんな自分を、覚えていますか?

誰だって、わからない、できないから始まるものです。
ところが、いざ出来てしまうと、できなかった自分を忘れてしまうのですね。
いつのまにか、上から目線でものを言い、できない人をバカにするのが大人でしょうか?

子どもの頃、大人はすごく大きく見えました。
自分が成長すると、忘れてしまう事って、けっこうあるんだと思います。

忘れなければ、子どもだった自分と同じように不安だったり、悔しかったりする人の気持ちがわかると思うんです。
忘れないのが、本当の大人だと思うんです。

怒りってなんだ?


怒りは、ぶつけるものではなく、伝えるもの。 さらにいえば、「どう伝えるのか」という表現方法こそが、怒りの感情をプラスに生かすうえで重要なのです。

とても重要なものもあれば、全く重要でないものもある。 その違いを知るために、わたしたちには人生が与えられている。

人を信じたいのであれば、「その人を信じる」のではなく、「その人を信じようとしている自分自身」を信じることです。

怒りの感情をプラスに転換するっていうのは、至難の業です。
そもそも、怒りって言う奴は、ものすごいマイナスのパワーをもっていますからね。
怒りを持った時点で、自分もマイナスのオーラに包まれていると思った方がいいですよ。

つまらないことに、いちいち腹を立てるのは、まったくエネルギーの無駄です。
自分の力で、どうしようもできないものに怒ってみたところで、無駄なだけなんですよ。
他人の気持ちなんて、どうやったって自分の思い通りにならないのだから、人に対して怒りの感情を持つこと自体、無意味なのかもしれません。

怒らないと決めてしまえば、人生だいぶ楽になります。

行き詰まったら「複雑すぎる!」のサイン


行き詰まったら「複雑すぎる!」のサイン

闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光のありがたさがわかるんだ。

悟りとは、自分の花を咲かせることだどんなに小さな花でもいい誰のものでもない独自の花を咲かせることだ

どんなに頑張っても、答えの見えない事ってある。
自分になんの落ち度も無いのに、酷い目にあうこともある。
出口のないトンネルを走っているような、光の見えない時もある。

人生って、そんなもんなんだろうと思う。

人間は、複雑すぎるから悩むんだな。
複雑に考えるから、起きてしまったことを、あれこれと思い悩む。

シンプルになったほうがいい。
きょう飯が食えて、寝る場所さえあれば、明日は明日の風が吹く。

できることを積み重ねていけば、やがて無理が利くようになります


 「こうでなければならない」というこだわりを捨ててみよう。

無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理が利くようになります。- 三浦雄一郎

そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ。- 森繁久弥

三浦雄一郎さんが「無理しない範囲で…」と、仰っても、僕のような凡人には、かなり無理してるようにしか感じないのですが…。
とにかく、すごい冒険家ですよ。人生が冒険そのもの。
ちょっと、三浦さんの人生を振り返ってみますと

1964年7月 イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立(なお、この前後に3度転倒し、「世界で最も速い速度で転倒して無傷で生還する」という珍記録も樹立)
1966年4月 富士山直滑降
1970年5月 エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降
2003年5月 世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす
2008年5月 75歳(世界歴代2位)でエベレストに再登頂

ね…?
こんな人の、無理しない範囲って、どんだけなんでしょう?

まあ、基準は、人それぞれでいいとして、できることを積み重ねるっていうことは大事なのはわかります。
75歳でエベレストに登るって、セサミンのごま油パワーで体調を整えているだけで、できたことじゃないはずです。
目標を持って、夢を持って生きてるって、すごいことですよね。
「歳なんて、関係ないんじゃ!」
と、三浦さんに言われたら、反論できる人はいないでしょ。

三浦雄一郎さんは、死ぬ瞬間に、最高の人生だったと言える人だと思いますね。

アイデアとは組み合わせのこと


苦しくなるほど愛すれば、やがて苦しみはなくなり、そのあとは愛があふれてくるのです。- マザー・テレサ

アイデアとは組み合わせのことであり、現代社会におけるオリジナルとは「オリジナルな組み合わせ」のことなのだ。

アイデアの種も愛の種も、実はそこらじゅうにあるもの。
決して特別なモノじゃないんだけど、組み合わせ次第で、良くも悪くもなる。

良いアイデアと愛の共通点は、どちらも人のためであること。
自分本位では、アイデアも愛も成立しない。

できない理由を探すな!


「私が思っているより、私はすばらしい」 何歳であろうと、人は自己を認識して肯定的な自己評価に到達することができる。

やりたいと思う気持ちは、それができるという証なのです

できない理由を探すな!

できる人って、できる方法ばっかり考えるでしょ?
できない理由なんか、絶対探さないもんね。

できないんだったら、はなっから、やろうとも思わないんだから、やりたいと思った時点で可能性はあると考えた方がいい。
いろいろ手を出しすぎて、どれもこれもモノにならないって言うんだったら問題だけど、それでも「できない」と思い込んで何もしないよりはマシでしょ。

人生は行動することで創られるんですよ!

個性的な人間は、他人の個性にも寛容になれる


「才」より「徳」
 
真に個性的な人間は、他人の個性にも寛容になれるんです。

人は、生まれながらにして、ひとりの個人として認められます。
成人するまでは、個人の権利は制限されますが、成人前でも人格は尊重されます。
これは、近代の法治国家の約束事です。

個人として認められることと、個性をもっていることとは、別次元の問題ですが、これを同一のレイヤーで捉えてしまうから間違いが起こります。
もちろん個性は持っていていいものであります。
ところが、個性の否定に関しては、人格の否定より制限がゆるい。
緩いというよりも、もしかしたら個性の否定に関しては、なんの約束も制限も無いのかも知れません。
それ故に、人は簡単に個性を否定してしまうのかも知れません。

人は、その思想において、完全に自由な存在であるべきです。
他人の思想に口を挟むなら、自分の思想を制限される覚悟を持たなければいけません。

自分の個性を大切に思うなら、他人の個性は尊重しましょう。

皆、生きることに自信を持っていないのです。


誰1人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。ということは、とりも直さず、皆、生きることに自信を持っていないのです。

進化は常にうまくいったもののうえに築かれ、過去の失敗は引きずらない。あなたもそうあるべきだ。

目的のない自由はまるで退屈で、なんのひっかかりもなく流れるように日々が過ぎる

いくつになっても、初めてのことは不安です。
若いときより、年を取ってきたほうが「初めて」に対する不安は大きいかもしれません。

赤ちゃんは、火を恐れませんね。
熱いことを知らないから、怖くないんです。

「知る」ことによって、蓄積されるものは知恵ばかりじゃない。
同時に、怖れや不安も溜め込んでいるのだということです。

無知も怖いけど、知ることによって臆病になるのも怖いですね。
先人の失敗を知ることによって、同じ轍を踏まないと心がけるだけではなく、人が踏み固めた安全な道だけを選ぶようになる…。
そんな状態から、魅力的な発想や、イノベーションが生まれるわけがありません。

いくつになっても、チャレンジし続けるためには、多少の不安はあってあたりまえと捉えましょう。

きょうという日を生きるのは、誰にとっても初めての体験なのですから。

2010/06/07

どうなるかわからない未来を思いわずらうのは、現在を生きていないということだ


地球は人類を充足させることはできる。しかし、欲望を満足させきることは出来ない。- マハトマ・ガンジー

思いどおりにいかなかった過去を悔やみ、どうなるかわからない未来を思いわずらうのは、現在を生きていないということだ。

天才とはとりもなおさず、人より優れた忍耐をする能力である - ベンジャミン・フランクリン

ガンジーが亡くなったとき、彼の持ち物は小さな鞄に数枚の衣服と、茶碗だけだったと言われています。
立派な人だったというより、命の使い方が天才的に上手い人だったのだと思います。

人間に必要なのは、生きる目的と信念、きょうを生き延びる食料、それ以外に必要なものって、本当は無いのかも知れません。
生まれてきたとき、ゼロならば、死ぬときにゼロであるべきなのかも知れません。

人間はいずれ死ぬとわかっているから、やっかいです。
それがいつか、わからないから、やっかいです。

あれこれ先のことを思い悩むより、きょう一日をきっちり生きる、それだけでいいんですね、きっと。

感じたことに言葉を与える


感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。

私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくっていく。

感情に言葉を与えるって難しいですね。
気持ちを言葉に出来なくて、もどかしい思いをすることがあります。

言えてるんだけど、上手く言えてない。
言ってるんだけど、伝わってない。

くどくど言うより、笑顔を交換したり手を握るほうが伝わることってあると思います。
自分が言いたいことを、うまく言葉に出来ないときは、ほかの方法でコミュニケーションするほうが、いいのかも知れませんね。

どんなに変化する世の中でも、自分から落後してはだめだ


『いくら稼げるか』ではなく『何を学べるか』で仕事を探しなさい

世の中は刻々と変化し、個人の力でどうすることもできない場合もある。だが、どんなに変化する世の中でも、自分から落後してはだめだ。

簡単な仕事は、手を抜かずに丁寧に…困難な仕事は、大胆不敵に進めること。

ついつい、お金のことを考えてしまいますね。
お金を稼ぐことは、大事なことなんだけど、その前にちょっと考えてみようと思うんです。
なぜ、お金がもらえるのかってことを。

お金をもらうってことは、まず、人の役に立ってなきゃいけない。
面倒なことを、代わりにやったり、特別な技術がないとできないことをやったり。
単純に、誰かの時間を節約するだけでも、価値はありますね。

で、大事なのは、それがいったい幾らの価値があるかっていうことですよ。
もし、自分なら、それに幾ら払うかってこと。
これを、正確に計算できる人って、あんまりいないかも…ですね。

仕事の必要性っていうのは、時々刻々変わっていきます。
ある日ある時、予想もしなかったイノベーションによって、自分の続けてきた仕事が無価値になってしまうこともあります。
仕事と向き合うって事は、時代と向き合うってことかもしれません。

10年後に、自分の仕事が、価値あるモノとして、この世に存在するだろうか?
自信を持ってYESと答えられる人は、いい仕事です。
僕なんかは、I don't knowですもん。

人も仕事も、同じかたちのままでは生きていけません。
自分から変化していけないのなら、変化しようとしている身の回りの人に乗る…でも良いんじゃないかな?
少なくとも、頭ごなしに否定する人って、生命力を感じませんね。

2010/06/05

迷ったときは、真実を語れ


小さい光でいい独自の光であれ

迷ったときは、真実を語れ。

道は待つことではなく、歩くことによってできる

迷ったときや、困ったときに限らず、真実だけを語れる状態にいることが、実はいちばん楽です。
大人の事情で、いろいろ言えないことを抱えているのはストレスの素ですからね。
いつも自然体でいたい…と思います。

あたたかい心で人のなかに住め


あなたの持てるものの中から、あなたのいる場所で、あなたのできることをせよ。- セオドア・ルーズベルト

あたたかい心で人のなかに住め。人のあたたかさは、自分の心があたたかでいなければ分かる筈もない。

そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ。- 森繁久弥

「情けは人のためならず」
と申しますが、人に情をかけたなら、必ず自分に戻ってくるのだから
まずは自分から、ということでしょう。

誰かに何かをしてあげよう、役に立とう、なんて思ってると
「自分がしてやった」などど、自分自身が表に出てしまします。
自分が出ちゃうのは、まだまだです。

誰にでもなく
どこへでもなく
あたたかい心を、いつも持っていることが理想ですね。

山は高く登るほど、風がきつい


どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ。- ジミー・コナーズ

山は高く登るほど、風がきつい

人はなぜ山に登りたがるんですかね?
僕には、さっぱりわからない。

高い山に登れば、上に行けば行くほど空気が薄い。
苦しい呼吸の中で、意識も薄れさせながら、それでも登る…
なぜなんでしょう?

自然の山も、組織という山も、結局、上に行けば行くほど苦しく、孤独なものだと思います。

たとえば、なにかの世界で頂点に立ったとします。
そこから見える景色は、遙か彼方まで見通せて気持ちが良いのかも知れません。
ただ、頂上に立ってしまうと、もう登る山が無いのです。
頂上で、石ころを集めて、その上でつま先立ちをしながら、ちょっと高いところへ登った気分になるしかないのです。

努力して、高みを目指すことを否定するわけではありません。
ただ、山に登る自分が、自分自身の全人格だったり、そのほかに何もない人生だったりするのはつまらないということです。
頂上に立ってみたら、自分の登った山よりも高い山があることに気づいて、いまから下山して、もう一度、高い山に登ろうなんて気力も無かったら、人生が停止しちゃいます。

登っている最中は、ときには自分のすべてを賭けてみるのもいいでしょう。
でも、頂上が見えたら、自分の中の半分は、下山させるべきなのです。
次の山に登る準備をするべきなのです。

人生で登れる山は、そう多くはありません。
頂上に雲がかかっていて見えない、見えてきたと思ったら、途方もなく高い山だったりするほうが、実は幸せなのかも知れないですね。

2010/06/04

何歳になっても、人の話は聞こう


あなたが何歳であろうと、その年齢を楽しむことだ

とても重要なものもあれば、全く重要でないものもある。 その違いを知るために、わたしたちには人生が与えられている。

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

感情が発する言葉も、思慮が発する言葉も、同じ言葉として捉えられがちです。
例えば、誰かを非難するとき、自分の立場からだけ言っているような言葉は、意見にならないものです。
相手の立場や主張も、考慮に入れた上で公平な判断をするのが、正しい意見の出し方なのだと思うのです。

自分の主義主張が正しいと思えるからこそ、強い信念を持てるのでしょうが、対立する考えを排除するだけの主張であれば、まだ、考えが足りないのかもしれません。

自分の理解を超える考え方を取り入れてこそ、正しい判断ができるのではないでしょうか?

若いときは、先人の背中を見て、歩むものです。
意見も知識も、吸収しようと心がけています。

歳をとると、自分の先をゆく者が、だんだん減っていきます。
そのときに、若い人の意見に聞く耳を持つだけでも、ずいぶんと自分の考えの幅が広がりますね。

教えることは、2回学ぶことである


熱中する心がなければ、この世に進歩はあり得ない。

生きたかったら、命ある限り歩け

教えることは、2回学ぶことである。

なにごとも熱中して、夢中になったほうが覚えが早いですね。
そして、本当に身につけたかったら、自分の身につけた知識や技を人に伝えたほうがいいです。

人に教えて、他の誰かが自分のポジションを脅かすのではないかと、抱え込んでしまうのは愚かなことです。
一人で抱え込める量なんて、たかが知れているのだから、まわりの人にさっさと成長してもらった方が、絶対、楽になれます。
そして、教えることによって自分の中で曖昧だったことが整理されたり、さらに良い方法を思いつくきっかけになったりもするのです。

集合知の時代ですから
抱え込まず、教えちゃいましょう。

愛と知識は、いくら与えても自分の中から消えたり減ったりしないです。

私の関心はいつも未来に向いている


教養とは、この世でいままでに語られ、かつ、考えられた最もよいものを知ることだ。

私の関心はいつも未来に向いている。なぜなら… 私の残りの人生をそこで過ごすのだから。

たいていの人は、物事を「いい」か「悪い」か、つまり「定性的」にしか捉えていません。そうではなく、「定量的」に考えてみる。いい悪いではなく、ナンボで考える。

賢い選択ができれば、人生は豊かになりますね。
賢い選択ができるようになるのが、教養を身につけるということではないでしょうか?

身につけるべき教養というのは、どの時代にも一定ではありません。
最近は、情報処理の速度や、情報の中から本質を推定する力というのが、とても大切な能力になってきました。
インターネットも携帯電話も無かった時代の教育には、あまり必要無かった能力が、いまの時代には必須の能力になりました。

昔の知恵は、この先、通用するかどうかで、その重要性が変わってきます。
何かを学ぶときに
「その知識は少なくとも、この先10年はすたれない」
と、確信の持てるときは、おおいに学び、一過性のものならばスルーする。
この、スルー力っていうのも、とても大事な教養になってきましたね。

2010/06/03

成功の秘訣は、職業をレジャーとみなすことだ


価値のある良いことはみんな、時間も手間もかかるものです。

ことばは丁寧であればいいというものでもない。心がこもっていなければ見抜かれてしまう

成功の秘訣は、職業をレジャーとみなすことだ - マーク・トゥエイン

賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。

幾世紀にも渡って残されてきたのものは人々の失敗や成功があって良いものが残されていきます。伝統は永遠の流行であると思います。

できると信じれば、それをする能力を得ることになるのだ。たとえ、はじめはその能力がなかったとしても  - マハトマ・ガンジー

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

なんか、不具合があったようで、きょうは言葉の数が多い…

毎日、3つの言葉と向き合って、そのときの自分の思いを書いているんだけど
そうそう都合良く3つの言葉に関連するものが思い浮かぶわけでもなく…

いままでも、3つの中から、ひとつピックアップなんてことはしょっちゅうあったし
ここは開き直って、ひとつ選んでみるか。

で、きょうのことばは
「職業をレジャーとみなす」
に、決定。

野球とかサッカーとか、ゴルフとか
プロのスポーツ選手っていうのは、幸せな商売だと思いますよ。

やってりゃ、それなりに苦労はあるし、結果が出なけりゃ明日をも知れぬ厳しい世界ですけど。
みんな好きが高じて、プロになったわけでしょ?
いいじゃありませんか!
好きなことを商売に出来るなんて、最高ですよ!

子どもはみんな天才だ!
って言いますけど、子どもの心を失わないまま、成長できるって素晴らしいですよ。

まぁ、僕のような凡人は、遊びの延長で職業を持つこともなく、サラリーマンをやっているわけですが、それでも気の持ちようで楽しく仕事したり、暮らしたりはできるんです。
「遊ぶように仕事する」のが理想ですね。

許せない時は、自分を許す


敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう。復讐をすれば相手と同じでしかない。許すことができれば、相手を乗りこえることができる。

たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。

「許す」というのは、難しいです。
許すことによって、相手を乗り越えることができたとしても、そもそも、乗り越えたい対象でさえないことだってあります。

どうしても許せない時は、「許せない自分を許す」のがいいんじゃないでしょうか?

単純であることは究極の洗練である


単純であることは究極の洗練である - レオナルド・ダ・ヴィンチ

世の中の大多数が言う"常識"を疑ってみることは、生きていくうえでとても大切なことなのです。

何事も小さな仕事に分けてしまえば、特に難しいことなどない

" Simple is Best "
と、ダ・ヴィンチが言っても
なんか説得力が無いかも?

だって、モナリザの秘密だとか、ダ・ヴィンチ・コードだとか…
いろいろ隠された秘密があるっていうのが定説でしょ?

でも、どれもこれも、後生の人が推測したものであって
ダ・ヴィンチが自ら明かした秘密ではないし…

絵画とか芸術作品を製作するときって、そんなにゴチャゴチャ余計なことを考えるだろうか?
目の前にある景色が美しくて…とか
心に浮かんだ情景を形に表したくて…とか
わりと、衝動的なものなんじゃないかな?

「ダ・ヴィンチほどの天才が、考えなしに作品を創るわけがない」
と、思い込んでるだけなのかもしれない。

そう考えると、あとからいろんな謎があるように想像した人間の方が
よっぽど賢いような気もしてくるなぁ…

2010/06/02

人から与えてもらったものは仕事とは言わない。作業と言うんだ


人から与えてもらったものは仕事とは言わない。作業と言うんだ

Try and Error.........then Retry

人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ - 坂本龍馬

会社勤めをしていると
「この仕事は、やっているのか?やらされているのか?」
区別がつかないこともある。

これはポジションにかかわらず、社長になったってあるかもしれない。

やっているのか?
やらされているのか?

考えるだけ無駄だと思う。

全部「やっている」と思えばいいだけだ。
そのほうが、幸せでしょ?

チームに弱点はあったほうがいい。そのほうが皆、肩を寄せ合う。


チームに弱点はあったほうがいい。そのほうが皆、肩を寄せ合う。

三流は人の話を聞かない。 二流は人の話を聞く。 一流は人の話を聞いて実行する。 超一流は人の話を聞いて工夫する。- 羽生善治

異論の人間がいた方が、活気があってよい。- 坂本龍馬

チームを組んで仕事をするとき
その中には、様々な人がいる。

ひとつのヒントで、十も二十も仕事をしていく人もいれば
十や二十言ったところで、さっぱり働かない人もいる。

サラリーマン社会は、やった人と、やらない人に、待遇の差が大きくつかない。
日本が「世界で最も成功した社会主義国」と言われるのも、まんざら間違っていないような気がする。

仕事をしない(できない?)人を、するように仕向けるのは、たいへんなエネルギーが必要だ。
だいたい、世の中の管理職が悩むのは、仕事をしない人を部下に持つからだ。

出来る人は、待遇やポストに不満を言うよりも、出来る限りの仕事を精一杯やったほうがいい。
できない人の分まで、仕事が回ってきても、筋トレだと思ってやったらいい。
だいたい、出来ない人の預かっている仕事は、それほど難易度は高くないのだから。

どんなに優秀な人間にも、弱点があるように
どんなに優れたチームにもウィークポイントはある。
弱点を嘆くより、優れた点をよりよく伸ばす方が効率が良いのは、人もチームも同じだ。

ウィークポイントがあるからこそ、ストロングポイントが明らかになるんだから
ウィークポイントには、それなりの存在意義があるってことだよ。

ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。


ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。

あなたの持てるものの中から、あなたのいる場所で、あなたのできることをせよ。- セオドア・ルーズベルト

徳は知と意思と忍耐とより成る。

限界を打ち破るほどの信念って、持ったことあるだろうか?

多少、人と違うことならやったことあるけど、自分の限界を超えようなんていう大それたチャレンジはしてないような気がする。

まあ、それでも…

昨日と違うことをしようっていう気持ちが、新たな自分との出会いを連れてくるなら、軽い気持ちで変化していける。

難しく考えないで、昨日と違うことをしよう!

ごまかしで成功するよりも、堂々と失敗するほうがよい。


ごまかしで成功するよりも、堂々と失敗するほうがよい。

愛情表現のスタイルは、人によりさまざまです。人の数だけスタイルがあると言っていいくらいです。 その結果、誤解のパターンも、人の数だけあると言えるかもしれません。

「そのうちやる」という名の通りを歩いて行き、行き着くところは「なにもしない」という名札のかかった家である。

失敗を恐れるから誤魔化すのか?
誤魔化すから失敗するのか?
いまの実力を正々堂々と発揮して、それでうまくいかなかったとしても、誤魔化しながらやって成功するより得るモノはおおきいんじゃないかな?

愛情もスタイルはいろいろでいいけど、そこに誤魔化しがあったらダメ!
真実のない愛は、必ず誰かを傷つけてしまうから…。

名コーチの条件


ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。

聞いたことは、忘れる。見たことは、覚える。やったことは、分かる。見つけたことは、できる。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ - 山本五十六

名選手が、かならずしも名監督にはならない。
そりゃそうですよ。
プレーヤーの仕事と、コーチの仕事は全く別物ですから。

もちろん、プレーヤーとしても素晴らしい仕事をして、指導者としても実績を残す人はいます。
プレーヤーである間に、自分の成長だけではなく、後輩にアドバイスすることを心がけていたり、サポートを上手にしながら、後輩に仕事してもらったりという習慣が身についている人は、後に良い指導者になれる可能性がありますね。

プレーヤーとコーチの人間関係における圧倒的な違いは、プレーヤーであるうちは、わりと自分の好みで人を選ぶことができるけど、コーチの立場になると、好き嫌いとか、合う合わないに関係なく、面倒をみなきゃならないし、成長を促さなきゃならないってこと。

自分のために努力して、名プレーヤーになった人って、自分のために努力することなんて、あたりまえのことだと考えがちです。
だから、いざ、自分が指導者になり、努力が足りない部下をみるとイライラしちゃうんでしょうね。

器用にサクサク仕事できない人もいます。
でも、そういう人も、戦力として見なければ、良い指導者とは言えません。

名コーチっていうのは、人の長所を見つけて、引き出すのが上手にできる人のことを言うんですね。
自分が仕事するんじゃなくて、人にうまく仕事してもらうのが、腕の見せどころです。