2010/07/20

考えている時間は「感じること」をやめてしまっている


考えている時間は「感じること」をやめてしまっているのです。

心はパラシュートのようなものです。開かれなければ、役に立ちません。

頭では理解できるのに、心が受け付けないっていうことって、けっこうありませんか?
脳科学的には、心も脳の中にある機能なわけですから、矛盾することで判断に苦しむときには、頭と心みたいに、分けて言うほうが都合がいいのでしょうか?

一生懸命なにかを考えている時って、脳をフル回転させているような気がしますけど、どうがんばっても脳の3割ぐらいしか使えないっていうのが、人間の限界のようです。
だったら、もうすこし小さく、軽くしてくれれば肩こりも解消されるかも?なんて思っちゃいますが、意識して使えない脳の7割が、実は心っていうやつの正体なのかもしれません。

放送という仕事をしていると、秒の単位で判断を迫られることがよくあります。
放送事故で人は死なないので、気楽な商売といえばそうなんですけど、番組に傷がつくのは、いろいろ後が面倒です。
構成を考えたり、台本を書いているときは、けっこう考えますが、生で放送している最中に考え込むと、たいてい事故ります。
瞬時の判断をしなければならない時は、考える暇が無いんだから、感覚を研ぎ澄まして反射神経で仕事している感じですね。

こういう仕事をしていると「考えると感じることができなくなる」というのは感覚的にわかります。
考えるのに脳を使っちゃうと、感じるセンサーに蓋をするような感じですかね?

感じた結果、なんらかの判断を下すわけですが、その判断が、できるだけ間違いの無い判断であるように鍛えるべき部分は…やはり、脳ではなく心なんだろうなぁ。

理想的な会議とは?


論争や討論の目的は勝利ではなく、改革でなければならない。

できるだけいつも笑顔で。そして、別れ際は必ず笑顔で。

勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る力の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。

世の中には不毛な会議が多いですね。
一方的に報告を聞くだけで、とくべつ意見が出るわけでもなく、時間だけがダラダラ過ぎていく…。
ムダですねぇ…。

会議の目的は、課題に対する意思決定をすることであって、すでに決まっていることを聞くだけなら、わざわざ大勢で顔を合わせる必要なんか無いのです。
一斉メールで十分じゃないですか。

たまに議論が熱くなる会議もありますが、相手の意見を打ち負かすことに躍起になって熱くなっているのでは、本来の目的から逸脱しています。
生産性や売り上げ向上のための社内会議の場合など、対案には間違いなく一理あるのです。
言い方や、手段が違うだけで、共通の目的には向かっているわけですから、どこかに共通項があるかもしれません。
話というのは、この共通項、共感の部分を土台に進めるべきなんですね。

僕は職業柄、企画会議という形の会議が多いのですが、アイデアの骨格は大勢で考えないことにしています。アイデアのグランドデザインは、多くの要素が入ってしまうと、たいてい陳腐化します。
自分のアイデアも、あまりにも具体的過ぎて、その枠組みの中でスタッフの個性が生きないようではダメだと思っています。

たとえば、一枚の絵を描くとしましょう。
まず、何に描きますか?
イーゼル?画用紙?スケッチブック?チラシの裏?
何で描きますか?
鉛筆?水彩?クレヨン?
何を描きますか?
人物?植物?建物?心象?

たいていの場合、このほかに、いくつかの制限があります。
「赤の面積は、70%以上」とか「縦の長さは40cm以下」とか。

このぐらいは、コンクリートした形で、自分たちの描く絵が、おおよそどのような体裁になるかのイメージを、しっかり与えることが大事です。
さまざまな制限の中で、表現の自由度を最大にしてあげることが、マネージメントであると思っています。

会議の話から、だいぶ横道にそれてしまいましたが、目標設定と制限がはっきりしていれば、まったく自由な発想でやりなさいというより、具体的にやるべきことがわかります。
「どうしたらいいか?なにをしたらいいか?わからない」…という状態から、何をするべきなのかをはっきりさせるのが、本来の会議の目的なんです。
報告を聞くだけ、自分の主張で相手を論破するだけ、そんなのは会議じゃないんですね。

参加者が終始笑顔で、リラックスした状態で意見を出し合う
やるべきことが具体的に見えてくる
そんな会議なら、やる意味があるんじゃないですか?

人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい


人間関係もワクワクする冒険だと思えばいい。

機会が二度 扉を叩くなどとは考えるな。

人生はロールプレイイングゲームですよねー。
道中には、数々のモンスターが現れて、自分の経験値が上がれば上がるほど敵も強くなって。

実際の人間関係は、ゲームのように単純ではありませんが、深刻になりそうな時ほど、ゲームのように客観的であるべきです。
人間関係に悩みが多い人は、たいてい巻き込まれすぎなんですよ。

2010/07/16

自分の意見を持つために


今日一善を行い、明日一善を行い、積もれば大徳となる

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

「人生は教えられない」アドバイスをするだけで解決するなんて、そんな簡単なものじゃない。

人間の記憶は、聞く、見るだけでは20%ほどしか定着しないそうです。
インプットした情報を、人に話したり教えたりすることで、記憶が整理され定着するみたいですね。

目標をノートに書くなんていうのも、ひとつのアウトプットです。
書いた目標を、繰り返し読み返すことで定着し、すべての行動の基準ができるので、目標達成の確立があがるというわけですね。

なんにせよ、ふわっとしたイメージで放っておかずに、言葉にすることで明確にしておいておいたほうが良さそうです。
そもそも、言葉に出来ないようなものなら、忘れちゃっていいんじゃないですか?


信頼というニーズ


時代やテクノロジーが生み出すものもあれば、滅ぼすものもある。滅びていくものは、いつも変化に抗い、受け入れようとしないものだ。

逆境、失敗、不幸は、幸運の種子

「餅は餅屋」っていうけど、いつまでも同じ餅だけをつくっていては技術革新はできない。技術は日進月歩だから、技術屋は同じ餅だけつくってちゃ駄目なんだ。

「300年変わらぬ、老舗の味」
とかって聞くと惹かれますねぇ…。

世の中には、変わってほしくないものもありますよ、実際。

注目すべきは、ニーズなんでしょうね。
老舗の味は変わってほしくないのが、ニーズなんです。
だから、変わらないでいることが世の中のためになる。

音楽の配信、ファイル化がCDを駆逐したように、本、雑誌、新聞がネット配信され、駆逐される日も、そう遠くないかもしれません。

インターネットやツイッターが無い時代には、メディアがほとんど唯一の情報発信源でした。
巨大メディアのビジネスモデルは、ソーシャルな言論空間に駆逐されると予想する人も大勢います。

メディアは、一方的に伝えることに慣れすぎて、ニーズを訴求することをあまりしていませんでした。せいぜい、視聴率とかを物差しに、うんぬんするだけで、情報の価値とニーズについては、独善的であったことは否定できません。

ビジネスモデルは変わっても、メディアの存在価値は残るように、変化することは必要です。
情報の価値は、情報を受ける人の価値観によって、さまざまに変化するので、一概に値段を付けられないものです。
マスが崩壊しても、最後に残るもの。
やはり、信頼こそが情報に対する究極のニーズなのかもしれませんね。

僕らは人生の探検隊だ!


海のほかは何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。- サン・テグジュペリ

孫正義さんが、実業という航海には、地図と羅針盤が必要だと言っています。
たしかにそのとおりだと思いますけど、この場合の地図は未来の想像からなる地図であり、羅針盤も未来を指し示すものです。要するに、あまりあてにならない、そう簡単には、そのとおりにならない訳です。
孫さんは地図と羅針盤のほかにも、度胸や運、知恵や努力もあって、いま立派な仕事をされていると思いますよ。

未来への地図、羅針盤だけでは心もとないのですが、どちらも持っていなかったとしても航海だけはしなければならないのが人生です。
なんの準備もしていなくても、生きなければならないのですね。

だったら、できるだけ未来を思い描き(地図を持つ)、そちらに向かって行く(羅針盤を持つ)ほうが、より力強く進んでいけるのは間違いありません。
しかし、長い人生の間には、目標を持てなくなる時期もあるかもしれません。
ただ大海原をさまようような、不安な時間を過ごしたとしても、その先ずっと目標を持てなくなると思わないことです。
人生の目標というと、たいそうに聞こえますが、限りなく「興味」という言葉に近いと思うんですよ。
さまよい始めたら、子どもに戻って好奇心いっぱいに生きてみることです。
「おもしろそう!」と思うことが見つかれば、向かうべき陸地が見えたも同然です。

夢中になる前にちゃんと考えよう


ひと息ついて、誰かに笑顔を見せてごらんなさい。

有望な人間は、人が失敗だと思うところに成功を見出す。人が影と嵐を見るところに陽光を見る。

新しい商売をしようとする人、新たなイノベーションを起こそうとする人は、他人と同じ考え方をしていてはダメだと言われます。新しいものは、いつも大通りではなく、裏道にあるなんて言いますね。

だからといって、なんでもかんでも裏へ裏へ考えるようでは、成功も遠のくような気がします。
ただの天邪鬼じゃどうしようもない。

誰かの考え方に影響されるのも、時には仕方ないなぁ…と思うこともありますけどねぇ。
ただし、そのまんま受け入れちゃうのも、どうなんだろうか?と思いますよ。

影響されて、妙にハマッちゃって突っ走っちゃう人っているでしょ?
ちょっと待て!って思うんですよ。
自分で考えて出した結論があって、走っているのか?…とね。

人に影響を与えるようなオーラを持っている人って、たいてい考え方じゃなくて熱量で押してきます。
シンパの空気だけ作って、話の中身は割りとどうでも良かったりするんですよ。

他人の考え方と自分の考え方の完全一致なんて、ありえないんです。
違いが分かった上で、冷静にお付き合いするというのが、他人の考え方との正しい付き合い方だと思いますよ。

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ


人がどれほど幸せなのかは、その人の感謝の深さにかかっている。

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ。- ジミー・コナーズ

悪口を言ってると、ボキャブラリーが貧しくなる。ほめていると、頭が良くなる。

2010年のワールドカップはスペインの優勝で幕を閉じました。
今回も、忘れられない名シーンが数多くあった大会だったと思います。
普段はあまりサッカー観戦しない人も、日本代表の活躍には心躍らせたことでしょう。

興味の無かった競技でも、アスリートの一瞬の動きが脳裏にこびりつくことがあります。
人間業とは思えない動きを見ると、感嘆とも驚異ともつかない不思議な興奮が沸き起こります。
中学生のときに見たジャバのダンクシュート。バスケットボールっていうのは、リングの上から入れることができるんだっていう驚き。
6ピートを決めたマイケル・ジョーダンのショット。あの状況で決めるから、神なんだなぁ。
自分が撮影したなかでは、中田英寿のドリブル、他の選手とは明らかに違う動きでした。
イチローのフリーバッティングは、バットじゃなくてラケットで打ってるみたいでした。
船木和喜のジャンプは、飛距離もさることながら、飛んでいる姿の美しさに見とれました。

テニスで感動したのは、ジミー・コナーズとビョルン・ボルグの対決です。
メジャーな大会の決勝戦は、必ずと言っていいほど、この二人が争っていた時代がありました。
二人が一線を退き、エキシビジョンで世界ツアーをしていたときに、生で観戦することが出来ました。
試合後、二人の乗ったタクシーをバイクで追いかけて、手を振ったら、笑顔で応えてくれました。

そのジミー・コナーズの言葉が
「一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ」
勝つと負ける以外に何があるの?って思うかもしれません。
テニスに引き分けは無いですからね。

勝ちも負けもしない状態。
試合放棄しているときがそうでしょうか。

棄権していたら、勝ちも負けも無いけれど、棄権するぐらいなら試合に出て負けるほうが、得るものは大きいのだということです。
やる前から、できない理由を見つけて棄権してしまうことって無いですか?
もし、そうだとしたら、損な生き方をしているかもしれませんよ。

見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす


見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす - 松下幸之助

人生はいろいろだ。だからおもしろい。

本人の「解像度」の高さが、その人のアウトプットの質を決める。

世の中には、みずからトイレ掃除をする社長さんもいますね。
これは一種のおまじないみたいなものでしょう。
松下幸之助の言う、見えないところをきれいにするというのは、顧客に見えない事情を、たとえ知られたとしても恥ずかしくない姿勢で商売しなさいという戒めだと思います。

見えないところにこだわるといえば、APPLEのスティーブ・ジョブズも負けてはいません。
彼はコンピューターの中身の基盤の配線にまで、美しさを求めるのだそうです。
ある日、開発中のノートパソコンを見たスティーブは、エンジニアに
「この配線は汚い。やり直せ」と指示したそうです。
ぎりぎりの設計をしているエンジニアは
「こんなところ、いったい誰が見るんだ!」と反論。
それに対してスティーブは
「僕が見る!」と言ったそうです。

こんな人がCEOだと、まわりは本当に大変だと思いますよ。
人の目に触れないところまでこだわりまくるわけですから、外観のデザインなんかOKが出るまでどれだけ試作品が作られていることやら…

APPLEのプロダクトデザインはジョナサン・アイブ率いるデザインチームの仕事です。
彼らの仕事は、おそらくデザインの歴史に大きな足跡を残すでしょう。
究極のデザインとは、これ以上削るものが無いというところまで、引き算ができているものだといいます。APPLEのプロダクツは機能美の極致とも言えます。

パソコンにしても、スマートフォンにしても、数値的なスペックではAPPLEの製品に勝るものはいくらでもあります。日本のメーカーは、この数値に表せる部分でスペック競争をしますが、カメラが何万画素だろうが、ユーザーの満足度にはあまり関係ないのかもしれません。

美しいものを持つ喜びと、快適な使用感の絶妙なバランスが、いまのAPPLEの最大の強みです。
機械なのに情緒的…
それをアメリカ人にやられちゃってるのが、ちょっぴり悔しい気もしますね。

2010/07/15

愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの


人生の意義はあなたが人生から逃れることでなく、何を与えるかなのです。これがわかれば人生は豊かになります。- マーチン・ルーサー・キング

愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。- ジョン・レノン

信じると決めたなら、何も語らず、疑うことなく、心から信じるのです

展示会や品評会に出品するために花を育てる人がいます。
その手間のかけっぷりといったら、半端じゃありませんね。
自宅に温度と湿度をコントロールできる温室を作り、日照時間にあわせて水やりの時間を調整して…。
きれいな花を咲かせるために、寝る間も惜しんで世話をする、丹精こめるというのは、まさにこういうことなんだなぁ…と感心してしまいます。

ランは育てるのが非常に難しく、ちょっとしたミスですぐに萎れちゃったり枯れちゃったりするみたいです。自分のパートナーがランみたいに難しい人だったら…と思うと、こっちが萎れてしまいそうですが…。
そこまで気を使わないまでも、毎日水をやり、お日様に当ててあげるぐらいはしなきゃいけません。
大切なのは、ちょっとずつでも毎日欠かさず気にかけるということなのでしょう。
忙しい毎日を過ごしている人も、自分のことで精一杯、仕事が頭から離れない人も、自分の花に水をやるぐらいの時間は作れるでしょう。
なにげない会話だったり、ハグだったり、小さなコミュニケーションを忘れてしまうと、大切な花が枯れちゃいますよ。

「飛べる」と信じたことが素晴らしい!


愛するとは、自分の幸せを他人の幸せに重ねることである。

飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ

何事も前向きに行動することが可能性を生む。- イチロー

人間に備わっている素晴らしい能力のひとつが「想像力」
人間以外の動物は、未来を想像してワクワクすることは無いそうです。

ライト兄弟が飛行機を発明する前の時代の人々も、鳥のように空を飛べたら気持ちいいだろうなぁ…と想像していたに違いありません。
ただ、自分には翼が無い。
多くの人が、空を飛ぶなんて無理…と、あきらめていく中で、本気で飛びたい、飛べるはずだ、よし、飛ぼう!と決意した人が、行動に移して初めて人類は空を飛んだのです。

もし、ライト兄弟が常識にとらわれる人だったら、できるわけないという気持ちに負けていたら、考えるだけで実行しなかったら、飛行機の歴史は大きく変わっていたでしょうね。

要するに、人間が飛躍するためには
  • 常識にとらわれない!
  • できると信じる!
  • とにかく実行!
この3点なのだと思います。

大発明じゃなくても、日常の中に小さなイノベーションを起こして、変化を楽しむっていうのも良いじゃないですか!できると信じて、実行しましょ!

幸福な人生を歩んでいる人の言葉


幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。

本当の答えはすでに自分の中にある。

対立するのは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているからではなく、双方が自分の価値観に従って生きているからです。いわば、どちらも「理想を追い求める人」なのです。

幸せな人は、常にまわりに感謝しています。
感謝しているから、優しい言葉、気遣いのある言葉で話します。
そういう人の周りには、自然に優しい人、気遣いの出来る人が集まってきます。
感謝の気持ちを持つと、幸せを引き寄せることができるのです。

対立した意見を持っている人に対しても
「なるほど、そういう考え方があるんだなぁ」
「立場上、やむを得ず言っているのかもなぁ」
と、とらえることが肝心です。

意見が違う人を、いちいち嫌っていたら、この世は嫌いな人だらけになってしまいますよ。

2010/07/13

弱いものいじめしてるうちは、成長なんかできないよ。


あなたに文句を言えない立場の人を決していじめてはいけない。

ノックダウンされたかどうかなんて、たいした問題ではない。 大事なのは立ち上がるかどうかである。

日本はなかなか不況から脱却できませんね。
官僚依存の中央集権、大きな政府によるばら撒き政策、国際標準を無視して内向きの市場をターゲットにしてきたことによる国際競争力の低下…
デフレから抜け出せない原因は、いろいろ分析されています。

いまの日本は、国としてのシステムが疲弊しています。
ずいぶん時代が逆行しているような気がします。
派遣切りの問題、企業の金融資産は増えているのに給与が上がらない。
支配する者とされる者の格差が広がり、まるで庄屋と小作のような関係です。

事業が複雑化していくとき、システム的にアウトソーシングしていく流れは、効率からいっても正しいのですが、そこで元請の無理を下請けが聞かざるを得ない状況はいけません。
業界全体が苦しいときに、下請けが最も苦しみ、元請はたいして痛みを感じていないという構図がずっと続いています。
製造業中心で国全体に勢いがあったころは「次で埋め合わせするから!」が通用したのかもしれませんが、今はそのやりかたじゃだめですね。次が期待できませんから。

製造業では、人件費の安い国にかなわなくなってしまいました。
中国やインド、韓国のやっていることは、かつて日本が国際社会に対してやってきたことなのですから、文句を言えるわけがありません。

いま、飛ぶ鳥を落とす勢いのAPPLEのやっていることを見ると、これもまた、かつて日本がやってきたこととそっくりです。
携帯音楽プレーヤーもスマートフォンも、タブレットPCもAPPLEが最初に手がけた製品ではないのに、ヒットするのはAPPLE製品ばかり。
半導体を発明したのはアメリカ人なのに、それに改良を加えて美しいプロダクトデザインでトランジスタラジオを世界的にヒットさせたSONYと重なって見えます。

日本人は既存のものをアレンジするのが得意なはずなんです。
世界には、個人の能力を、支配的にではなく自発的に発揮させる、多くのノウハウがあります。
時代を逆行させて、大昔のスタイルに戻っている場合ではありません。
いまこそ、日本流のビジネスエコシステムを構築すべきです。
ゼロから考えなくたって、アイデアの種は世界中にあるのですから、アレンジすればよいのです。

敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう


敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう。復讐をすれば相手と同じでしかない。許すことができれば、相手を乗りこえることができる。

大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに

天才とは複雑なものを単純なものに変える能力である。

「人はなんのために戦うのか?」
権利を主張するため?
利益を守るため?
戦うには、主義主張が必要です。
戦いに費やす膨大なエネルギーを考えれば、できたら戦わずに済ますのが、もっとも賢い選択であることは言うまでもありません。

でも、人は戦うのです。
生まれた時代と戦い、自分の宿命や運命と戦います。

時には自分自身が敵になっていることもあります。
己の不明、無知、弱気が敵であることもありますね。

人類の歴史は、戦いの連続でした。
戦争は人間が創った最もおろかな発明品です。
勝った国にも大きな被害があり、負けた国は理不尽な要求とともに滅びる。
こんな意味の無いものはありません。

いまも世界のどこかで戦争が起こっています。
つらい現実と向き合って、耐え忍んでいる人がいます。
戦争があるために、自由な人生の選択ができない人がいます。
悲しいですね。

国と国の間には、文化や習慣、考え方の違いはあってあたりまえです。
どんなに間違った考え方をしている国があったとしても戦争で解決しようとするのは間違っています。
罪も無い人を巻き込むのは間違っています。
間違っているのは、いつも一部の指導的立場の人々なのですから。

敵を傷つければ、敵以下の存在になる。
忘れてはいけません。

なんだか重たい話になってしまいましたが
いま、ちょうど2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会の真っ最中。
日本は決勝トーナメントに進出しましたが、パラグアイと延長戦まで戦い、PK戦で敗退しました。
残念という声もありますが「よくやった」と代表チームを賞賛する声も多く聞かれます。
誇り高き大和魂をピッチの上で、存分に表現してくれた選手たちに感謝したいです。
負けて悔いなし。
「さわやかさが残る戦い」とは、こういうことなんですね。

人生は戦いです。
自分のできることを精一杯やって、全力で走りましょう!

ありのままの自分でいることを厭わぬこと


幸福の要は、ありのままの自分でいることを厭わぬこと

一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思案することだ。

すべてを納得すれば、心はきわめて寛大になる

ありのままの自分と向き合うのは、なんだか恥ずかしいものです。
人間には、逃れようのない欲と付き合いながら生きていくものですから、若いうちに禁欲的な思想と出会うと、自分はなんてあさましいのだろうと自己嫌悪に陥ってしまうかもしれません。

食欲、性欲、金銭欲、名誉欲…あげればきりが無いぐらい人は欲にまみれています。
欲を持つことが、すべていけないというわけではありません。
なにかを得たいという欲求は、モチベーションにもつながりますから。

知っておかなければならないのは、どんなにストイックな生活を望んでも、すべてからは逃れられないということです。逃れられないのなら、上手に付き合うしかないでしょ?

たとえば、人は食べなければ死んでしまいます。
最低限、必要な栄養は摂らなければなりません。
食欲をゼロにするのは不可能ですから、受け入れなければいけません。

欲から逃れることができないのだから、欲におぼれず、コントロールする技術を身につけることです。
欲があることを恥じるのではなく、小さな幸せをかみしめながら、ミニマムに生きることができれば美しいですね。

キミ自身が決意し、貫く


人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ -  岡本太郎

他人への本当の優しさ、自分と違うものへの寛容さは、これからのグローバル市民にとっては必須の資質だ。

忍耐の草は苦い。だが、最後には甘くやわらかい実を結ぶ。

人生は決断の連続です。
「きょうのお昼は、なにを食べる?」
これも小さな決断です。

こんな小さな決断でも、なかなか自分では決められない人もいますね。
こだわりが無いのか?決めるのが面倒なのか?優柔不断なのか?
自分で決めないのは、あまりいいことではありませんよ。

自分の意思で決めなかったことに対して、あとで不利益を被った場合、たいてい人のせいにしたくなります。これがいけません。自分で決めなかったことほど、後悔も大きいものです。

あなたの周りに、自分で決められない人がいたら、いきなり全部を決めさせるのではなく、いくつか選択肢を示して、その中から選ばせましょう。

「きょうは何を食べる?肉?魚?」
子どものころから、自分で選び、自分で決めることを習慣にしていけば、やがて迫られる大きな決断の前でも怖気づくことはないでしょう。

「疲れた」という言葉


未熟な愛は「あなたが必要だからあなたを愛します」成熟した愛は「愛しているからあなたが必要です」

疲れを生み出すのは、仕事や遊びではなく、「疲れた」という言葉だ。

一回の成功は何百回の失敗をぬぐい去る。

生きていれば、面倒なことに出くわすし、疲れるんです。
面倒なときに「面倒だ」
疲れたときに「疲れた」
と、口に出して言うことは、それこそムダなんです。
言ったところで、面倒がなくなったり、疲れが取れたりしないのです。

2010/07/05

あなただけが贈ることのできる贈り物


あなたには、あなただけが贈ることのできる贈り物があります。 それを贈るのです。

心の力が勝れば、運命は心の支配下になる

機会が二度 扉を叩くなどとは考えるな。

優しさも愛情もお金も、満ち足りることを知らない人は際限なくほしがります。
ほしがっているうちは、いつまで経っても満足なんてしないのです。

どこかに線引きが必要です。

たとえば、世界でも有数のお金持ち、APPLEのCEOスティーブ・ジョブズは、いつも同じ黒のロングTシャツ、ジーンズにニューバランスのスニーカー姿です。肉を食べないベジタリアンです。
非常にストイックで慎ましく生きている人か?と思えば、ビジネスの世界では飽くことを知らぬ貪欲さも見せます。
しかし、彼は、お金がほしいから仕事しているのではないと思います。
実際APPLEからの年俸は1ドル!だそうですから。
何に価値を見出し、何を切り捨てるのか?
非常にはっきりしている人なんですね。

そして、もうひとつ大事なことは、ジョブズが人類に対して偉大な贈り物をし続けているということでしょう。これからも、世界中に贈り物をしたいから、会社を大きくして稼いでいるような気がします。

満足したら、必要以上に手に入ってしまうものです。
自分に必要ない分を、人に贈ることよって、幸せの連鎖、感謝の連鎖が生まれます。

人間、生まれたときは素っ裸。
墓の中まで持っていけるものなんか無いわけです。
生きた証を遺すとしたら、感謝や優しさのいっぱいつまった思い出でありたいものです。

変化こそ唯一の永遠である


変化こそ唯一の永遠である

学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。

あなたは完璧じゃない、それでOK!

自分自身も、自分をとりまく環境も、変化するのがあたりまえ。
なにもかもが、時間とともに変化していくのです。
変化を拒むことは、生きることを拒むことに等しいのです。

変化には長い周期のものもあり、短い周期のものもあり、自分にとって有利な変化もあれば、不利な変化もあります。
まずは、適応してみることです。
悪い変化に対しては、抗うように自分が変化してみるのもいいでしょう。
なにしろ変化することだけは避けられないので、きょうの正解にこだわる必要も無く、明日には明日の正解を求めて変化して行けばいいのです。

変わり続けることだけが永遠なのですから、未来には答えも変わっていきます。
完璧な自分を求めるのはムダなのです。
できるだけ正しい答えを出しながら、成功体験にこだわらず、時代に応じた変化をしていくことが上手に生きるコツですね。

批判は華麗にスルー


行動は俺のもの、批判は他のもの、俺の知ったことじゃない。- 勝海舟

欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ。- 本田宗一郎

他人の批判に対して「俺の知ったことじゃない」と言い切れるのはスゴイですよ。
よっぽど独善的か?自信家か?鈍感なのか?

普通、批判されると良い気持ちはしないものですが、批判ってやつは時々、大いなる示唆を含んでいたりしますから、全部聞いてもいけないけど、全部無視してもいけないのです。
ネットだとスルーできるような発言も、リアルだとスルーできない人も多いようです。
でも、ちょっと考えてみてください。
ネットもリアルも、最近はかなりオーバーラップする部分が多いですよね。
人との会話、コミュニティの形成、買い物なんかもネットとリアルの比率が半々、ネットのほうが多いかも?です。

ネット上での"スルー力"って、けっこうリアルな生活の中でも応用が効きますね。
華麗なるスルーは、COOLな感じもします。

リアルでなかなかスルーできないのは、客観的になりきれないからでしょう。
批判というやつは、かなりの確立で攻撃性を持ち合わせていますから、自分が冷静に客観的になることによって攻撃をかわし、有効な部分だけを抽出することができるようになります。

仕事に支配されるな!


未来は、明日ではなく今日やっていることで創られる

会社や他人に人生をコントロールされがちな日本社会だが、だからといって、会社や他人があなたの人生に責任を持ってくれるわけではない

自分のもてる能力を人のために使おうという人には、不思議と人望がついてくるものです。

目の前に現れる仕事を、好き嫌いとか、気が進むとか進まないとかで区別してたら効率が悪くて、さっぱり進みません。自分だけの仕事で問題を先送りしているなら、後で困るのは自分だけかもしれませんが、チームの一員として仕事のある部分を担っている場合は、チーム全体の進捗に影響が出てしまいます。

まずは、目の前の仕事をこなす…大切なことなのですが、これだけでは長い仕事生活を充実感を持って走り続けることは出来ません。

仕事とは、そもそも誰かの代わりに自分の能力を発揮したり時間を提供したりすることです。
そして、その行為に対して報酬をもらうことです。
誰かの役に立っていないのなら、それは仕事とは言えません。
上司の役に立っても、顧客の役に立っていなければ仕事とは言いません。

誰かにコントロールされ、やらされているという意識では、成果も期待できないし、第一楽しくないでしょう。誰かからの指示であっても、仕事はすべて自分のものとして扱うべきです。
自分の仕事によって、どこかの誰かが喜んでくれることを常にイメージできるようになると、おのずと支配されている気持ちもなくなりますよ。

2010/06/29

ポナペのじいちゃんは、陰口なんて言わないだろう


もっとも不愉快なことは、最大の敵が面と向かって述べることではなく、最良の友が陰でこっそりささやくことである。

たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。

使ったところが強くなる。頭でもからだでも。

「陰口はいけない」と、よく聞きますが、自分は陰口を言わないので、どんな悪影響を被るのか知りません。自分が言うのではなく、人に陰口を言われていることって、あるのかもしれないけど、どうも人のうわさとかに疎いので聞こえないのです。聞こえてきても、あまり気にしないでしょうけど。

陰口は言わないけど、人にまったく意見しないわけではなく、面とむかっては、けっこう言ってます。若いころから、どんなに偉い人にでもズバズバ言ってしまう方だったので、陰でブツブツ言ってる人より、よっぽど扱いづらい奴だったかもしれません。

サラリーマン生活20年を越えた現在でも、基本的にはズバッと言う姿勢は変わらないのですが、ひとつ憶えたことがあります。
「人は、立場上、やむを得ず言わなければならないこともある。」
ということです。
本意ではないけど、組織の立場上、厳しいことも言わなきゃならない…みたいなやつです。

若いころは、人格が言ってるのか、立場が言わせているのか区別がつかなくて、気に入らないことには噛み付く人間だったけど、近頃はわりと、区別がつくようになりました。
立派な人ほど、自分の発言に言い訳をしないので、立場上、言わざるを得ないのだな…と感じたときには、ちょっと同情したりもします。

まあ、上司の文句は酒の肴、サラリーマンのストレス発散とも言われますから、度を越さなければ許されるんじゃないですかね?


話は変わりますが…
「たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。」
この言葉で、思い出したシーンがあります。
以前、ミクロネシアのポナペ島に取材で行った時のことです。
街の中には、車が走り、それなりに近代化されていましたが、ちょっと田舎に行くと、川でうら若き乙女たちがハダカで水浴びや洗濯をしていたりします。
一瞬、見てはいけないのかな?と思いますが、向こうから手を振ってきたりします。オッパイぷるんぷるんさせながら。
なんとも、のんびりした島なのですが、ポナペで究極の「のんびりじいちゃん」と出会いました。
毎朝、7時ごろ、僕たちは取材に出かけていました。じいちゃんは、その時間にはもう自宅の玄関先にすわって海を見ています。
はじめは、なにかを監視しているのか?と思いました。
でも、毎日、同じ場所で、あぐらをかいて、ただ海を見ているのです。
朝だけではないんです。
昼飯時に見ても、取材が終わって夕方に見ても、同じ場所で、同じ姿勢で海を見ています。
夜にはいなくなりますから、生きているのは間違いないんですが、おそらく毎日10時間以上、海を見て過ごしているじいちゃん。
何を思って、そうしていたかは謎ですが、秒の単位でせきたてられる僕の一日と、海を見つめるじいちゃんの一日が、同じ24時間だとは信じがたい思いでした。
じいちゃんは、何もしてないのに、僕よりリッチな時間を過ごしているような気もしました。

「たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。」
僕の人生はそうかもしれません。
でも、あのじいちゃんの人生は、この言葉を超越していましたね。

運命と宿命の違い


運命のなかに偶然はない。人間は運命に出会う以前に、自分がそれをつくっている。

愚か者は自分を賢いと思い、賢者は自分が愚かなことを知っている。

魂を向上させる意志を持って、生きたほうがいい

運命と宿命の違いって知ってますか?
似たようなニュアンスの言葉ですけど、運命は能動的で、宿命は受動的なものと、僕は解釈しています。
宿命は人生に設けられた関門であり、これはイヤでも通らなければならない道です。
一方、運命は選択した道の上に現れるので、選びかたしだいで、出会うこともありません。

宿命が「この世」という学校を卒業するための必修科目だとすれば、運命は選択科目であるとも言えます。
人は、かならず、この世を卒業しますから、宿命という必修科目だけは、きっちりと単位を取らされます。
生きる時間の長さとか、男だとか女だとか、まったく関係ありません。
生まれてすぐに、死んじゃう赤ちゃんも「一度生まれて死ぬ」という単位を取得して帰っていきます。

宿命は、あらかじめ用意されているものなので、抗ってもムダです。
また、難関をクリアした場合も、それが宿命ならば人生の評価ポイントが上がるわけでもありません。
人生の差がつくのは、自分で選択した運命を、見事達成、成就したときです。

運命と宿命を見分けるのは、さほど難しくはありません。
自分が選んだことか、そうでないかの違いです。
自分で選んで歩まぬ者は、当然、良い運命と出会うこともありません。
宝くじも、買わなきゃ当たらないし、バットは振らなきゃヒットも出ないのと同じです。

たくさんじゃなくてもいいし、小さなことでもいいのです。
自分で選んで、自分の運命と出会ってください。

2010/06/28

自分の器が小さいから過敏に感じる


悩みも苦しみも、自分の器が小さいから過敏に感じる。

人の将来の成功は忍耐によって得られる。長い間耐えることができない者は、その希望するところのものを失う

忠実であるべきなのは、なによりも自分にたいしてである。なににもまして、自分だけは、裏切ってはならない。

人間は、そもそも不公平という多様性をもって生まれてきます。
なんの苦も無く生きていく人も、いるにはいます。
なにも耐え忍ぶことなく見えるかもしれませんが、魂のステージは、さほど上昇しません。

「若いころの苦労は、買ってでもせよ」と言いますが、人生での苦労の絶対量が決まっているとしたら、あとで楽になるし、苦労に対する免疫がつくという意味ですね。
なにごとにも動じることのない状態を「悟りの境地」といいますが、苦しみを受け入れ、なにごともなかったかのように生活できるほど心が強く鍛えられれば、人生の目標はほぼ達成できたようなものです。

60歳定年という“常識”を疑ってみる


黙っているほうが安全だという雰囲気は非常に危険だ

世の中の大多数が言う"常識"を疑ってみることは、生きていくうえでとても大切なことなのです。

ヒット商品は、企画段階では、全員が発売に反対したものが多いという。

日本は世界一の長寿国ですね。
60歳で定年を迎えた人が、その先に20年の人生を生きることになる。
60歳以降、仕事をする人は別として、年金以外の収入の道が無いままの20年は長すぎますね。
100歳まで生きちゃったらどうしよう?
不安になりますね。
日本の個人金融資産が、市場に出てこられないのは、この不安があるからなんです。

デンマーク人は貯金をしないそうです。
税金が高い代わりに、死ぬまでの生活をきっちり保障する制度があるからです。
税金が高いことに対する国民の不満はほとんど無く、安心して人生を国に任せているということですね。国が、国民の人生の最後まで保障できるのであれば、高齢者だけではなく、人生半ばの失敗も、恐れることなくチャレンジできるようになるかもしれません。
そういう意味では、社会保障の充実した北欧の諸国は、政府と国民の間に、強い信頼関係があり、言い換えれば高度な政治をしているということになるかもしれません。

こうした制度を、いきなり日本にあてはめるというのは、いささか乱暴なのかもしれませんが、いまの日本にできることはあると思います。
まず、仕事は60歳以降も続けるということです。
日本の場合、企業が60歳までのセーフティネットとして機能しています。
60歳以降の就労を活発にして、高齢者の収入の道を年金以外に求めるということです。
天下り法人を作る金があるなら、60歳でリスタートする組織を作る事だってできるはずです。

仮に景気が回復しても、日本人の消費動向は、バブル時代の高額商品、大量消費みたいなことにはならないでしょう。消費者としては、賢く大人になったんだと思います。
内需で税収を上げるには、年齢構成にあわせて、フレキシブルに労働人口を確保して、高齢者も所得税を納めることができる社会を目指すべきです。
もちろん、働きたくない人に強要するものではなく、60歳で選択的にリスタートできる社会を作るべきなんですね。

2010/06/23

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である


最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である

細かいところにこだわるのは欠点ではありません。細かいところへのこだわりがないと、仕事はずさんになってしまいます。 そのとき大事なのは、同時に全体を見る目を失わないようにすることです。

自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することである。

僕は大学受験に一度失敗して、予備校に行かずに自宅浪人をしました。
自宅で浪人生活をしていると、教えてくれる先生や友人もいないわけです。
最初の3ヶ月ぐらいは、その状況に戸惑いを感じていました。
でも、戸惑ってばかりいても何も好転しないわけで、教わらずに学ぶことを実践したのです。

自分にモノを覚えさせるには、コツがあります。
これが誰にでも通用するような方法であれば、その方法を教えることで、けっこういい商売になるかもしれません。
でも、人に個性があるように、ものを覚えるツボも人それぞれなので、汎用的な手法は無いのかもしれません。

ひとつ言えるのは「モノを覚える自分なりの方法」を会得してしまえば、その先の人生にずっと応用が利くということです。

日本の教育は、他人の話を聴く力を身につけさせますが、自分なりの方法論をもって自分を教育する方法を教えません。感じたり、考えたり、その多様性を許していない気がします。

常識を疑うことも無く、多様性を認めないまま大人になってしまうと、働き始めてから労働ロボットとしては優秀かもしれないけど、柔軟な発想ができないとか、革新的なイノベーションや変化に対して後ろ向きになるとか、いろいろ弊害が出てきます。

自宅浪人をオススメするわけではありませんが、できるだけ若いうちに、自分にあった学ぶ方法を身につけて、それが他の人と全然違うことを自覚したほうがいいですね。
学ぶことは、いくつになっても要求されるものですし、パターン化することによって学ぶこと自体、苦にならなくなりますよ。

今日、習ったことを、今日、活かす


今日、習ったことを、今日、活かすのです。

成長する限り、問題は起こって当然

昨日と同じことをやり続けるだけなら企業には経営者はいらない

「どうしても身につけなければならないこと」があるのなら、実践するしかありません。
話を聞くだけで、身につくことなんて、まず無いのです。

子どもに平仮名を教えるとしましょう。
"あ"という字はこう書くのよ…と見せるだけの人はいないでしょう。
かならず紙と鉛筆を渡して、書かせてみせますよね。

一度覚えたとしても、使わなければ忘れてしまうのも、人間のやっかいなところで、やはり実践しないと記憶の継続性もない訳です。

イチローはヒットを打てる理由を問われて、単純な練習の繰り返しに過ぎないと答えています。
もちろん素質もあるでしょう。
考えながら、練習してるでしょう。
でも、毎日バットを振らなきゃ、イチローだって打てないんですね。

"あ"という字を書けるようになった子どもは、百回書けば、"あ"という字を忘れないでしょう。千回書けば"あ"という字を上手に書くことができるようになるでしょう。
単純なことも、馬鹿にせず愚直に続けることが、上手への一本道なんでしょうね。

他人に変って欲しければ…


親密な仲にも隙間をあけるがよい、二人の間を天の風が舞うように

他人に変って欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。- マハトマ・ガンジー

「自分の人生」を生きている限り、それがどんなに苦しいものであろうとも、人は後悔しません。

他人に変わってほしい時って、どんな時でしょうか?
あなたの身の回りに、変わってほしい人はいますか?

仕切れない上司
仕事しない同僚
できない部下
冷たいやつ
おせっかいな人

まあ、いろいろいるかもしれません。
こういう人に出くわしたとき、あまり気にせず淡々としていられる人はいいのですが、気になって仕方がない人は、とんでもないストレスを感じるのでしょうね。
気になりだすと、ついつい文句が口をついて出てしまいます。
いつのまにか、あなたも文句の多い迷惑な人の仲間入りですね。

そもそも、他人は変わらないものだと思います。
自分自身を変化させることの大変さを思えば、他人が変わる、まして人の影響で変わるなんて事は一種の奇跡ですよ。
それでも、実害があるときは、変わってもらわなきゃならないこともあります。

さて…どうしましょう?

ガンジーは、自ら変化の原動力となれ
と、言っています。

難しいですよ…
だいたい、変わってほしいと思う人に、それほどの思い入れは持てませんから。
親身になり、愛情を持たないと「変化の原動力」にはなれません。
そこまでするかな?
自分が柔軟に対応できるように変化しちゃったほうが早いような気がしますね。

どんなに仲の良い人とでも、距離感を誤ると、摩擦が生じるものです。
相手によって、その距離は違いますが、かならず適切な距離があります。
毎日イヤな人と顔を合わせなければならない切ない状況でも、精神的な距離というのは自分でコントロールできるはずです。

人生の達人になると、イヤな人からも、何かを学び取って自分の栄養にしてしまうみたいですね。
そういうふうにできれば、自分にとって害になる人間なんていないわけですから、生きるのが楽になるんじゃないですかねぇ。

まぁ僕は、まだまだですけど…。


2010/06/22

迷ったら「イエス」と言ってみる


多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ - モーツァルト

あなたが思うほど、人はあなたの言い訳を必要としてはいない。

迷ったら「イエス」と言ってみる

iPhoneのOSがバージョンアップされて、マルチタスクに対応しましたね。
「マルチタスク」というと、できるビジネスマンが様々な案件を矢継ぎばやにこなす姿が想像されて、なんだかカッチョイイのですが…。
コンピューターは、メモリーやCPUの進化でたくさんの命令をいっぺんに処理できるようになりました。
人間も進化すれば…と、淡い期待を持ってしまいますが、人間ってマルチタスクをやろうとすると破綻するみたいですね。特に男性は…。

「人間の場合、同時進行は2つが限界」という話を聞いたことがあります。
大量に仕事があるときも、時間を細分化して、一定の時間にひとつのタスクをこなす方が効率的だとも言われています。仕事が出来る人ほど、時間の使い方が上手なのは間違いない事実ですね。

さて、きょうはもうひとつ…YESについて
以前、ジム・キャリー主演の「イエスマン "YES"は人生のパスワード」という映画を観ました。ざっとあらすじを紹介しますと

銀行で貸付を担当するカール(ジム・キャリー)。
来る日も来る日もローンの申し込み用紙に「却下」のスタンプを押し続ける。
3年前の離婚以来、変わりばえしない日常。
昇進 の話も立ち消え、すべてがうまくいかない。
踏んだり蹴ったりの人生を送るカールは、旧友のニックから自己啓発セミナーへの参加を勧められる。セミナー会場は「YES!」と連呼する人々の異様な雰囲気に包まれていた。
カリスマ主宰者のテレンスは、新参者のカールに「どんなことがあっても"YES"と言い続ける誓い」を強要する。会場の空気に呑まれたカールは思わず、 "YES"と誓約してしまう。

なんでも "YES"と言わなきゃならないんですから、大変です。
「車で送って」「携帯電話を貸して」「金を貸して」と、どんどん要求がエスカレートするホームレス相手に"YES"と答え続けたカール。携帯電話は電池が切れ、財布は空になり、車はガス欠に。

ジム・キャリーの真骨頂、底抜けに楽しいコメディーなんですが、大いに示唆も含まれています。
"YES"と言うことを強いられているうちに、だんだんと考え方がポジティブに変化していくのです。
考え方が前を向くことで、主人公は踏んだり蹴ったりの人生から脱却していくのですが、そのプロセスもなかなか面白いので、観てみてください。

日本でイエスマンというと、あまり良いイメージはありませんが、どうせやらなきゃならないことなら、前向きにYESと言ってみる事です。
できたら、その中に楽しみをみつけてみてください。
ジム・キャリーはなんでもかんでもYESと言わされて、ひどい目にもあいますが、人生が開けました。
なんでもかんでも"楽しい"と思うことで、人生は明るくなりますよ。

正直であること、一生懸命働くこと


結局、一番大切なのは、自分に、そして愛している人たちに対して正直であること、また一生懸命働くことです。- マイケル・ジャクソン

長距離を走るときに、もっともたいせつなのは、ペース配分です。

マイケル・ジャクソンのTHIS IS ITは劇場で観ました。
あれは映画じゃないと批判する人もいますが、そもそも本人が確認するためのリハーサル映像をつないでるだけなのだから、いわゆる映画と思って観ること自体が間違ってますよね。
僕は、単純に感動しましたよ。
十分にお金を払う価値のあるコンテンツだと思いました。

マイケルは間違いなく天才です。
動きを見ているだけでも、驚きがあります。
人間は、ああいうふうに踊れたり、歌えたりするんだ…と溜息が漏れます。

天才は、孤独なものらしいですね。
彼らにしか見えない世界を見てしまうからでしょうか?
アイルトン・セナも、時速300kmでコーナーを曲がるとき「神を見た」と言っています。

普通の人間じゃない、と自覚することが彼らには必要だったのでしょうが、同時に同胞のいない寂しさも味わうのでしょう。
それゆえに「普通の人間でいたい」という欲求も、普通の人間以上に持ってしまうのかもしれません。

天才マイケル・ジャクソンの遺した言葉も、驚くほど単純です。
正直であること、一生懸命働くこと

天才がなりたかった人間像は、結局、人間ならば誰でもなれるものだったんですね。

気分に考えが引っ張られちゃダメ


成功する人たちは奇跡を待ちません。奇跡は起こすものだと考え、奇跡を起こすべく自分の知恵と時間を使います。

人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが、その人間に疲れたのだと思えば、間違いはない

人生における七転び八起きも、つまりは天の与えてくれた一種の気分転換の機会

ダメな時のネガティブシンキングほど害になるものはありません。
ダメな状態が、自分のミスで起きているにせよ、他からの影響で起きているにせよ、です。

ダメな時に、気分が落ちるのは仕方ないのですけど
「気分」と「考え」は別物ですからね。

気分に考えが引っ張られちゃダメなんです。
いい時も、悪い時もダメです。

2010/06/14

プライベートのTASKは空にしない


私たちのほとんどは「やるべきこと」がなくなってから、リラックスしようと考えている。人生の「書類入れ」がカラになることはぜったいにないのに。

弱い人間は率直になれない

正直に自分の無知を認めることです。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れます。

日本人は休みをとるのが下手だと言われています。
イタリア人の昼休みの長さや、オーストラリア人の1ヶ月のバケーションなんて話を聞くと「よく、平気でそんなに休めるものだ…」と思ってしまいます。
やはり、僕も日本人なのでしょうね。

でも、これって単にお国柄の違いっていう話なのでしょうか?
日本人は、休みが取れないのではなくて、有意義に休めないのではないでしょうか?
日本人は、勤勉だと言われますが、実は休みを与えるとサボってしまうのではないでしょうか?

ゆとり教育は失敗しました。
本来は、学校に拘束される時間を減らして、高度な勉強をしたい人は勉強をし、音楽、芸術、運動などの能力を伸ばしたい人は、そのために時間を使う、というのが目的だったはずです。
でも、ゆとり教育で育った子どもたちは、単純にサボってしまった。
まあ、子どもですから無理も無いのですが…。

では、大人に休みを与えると、どうなのでしょう?
実際、あまりいいことは起きないですね、日本では。
仕事以外のTASKを持っていない人が多いのです。

仕事のTASKは、週末には空っぽになるほうがいいのです。
でも、プライベートのTASKは、いつもいっぱいのほうがいいのです。
そうすれば、いつでも意味のある休みが取れるのです。

プライベートのTASKなんて…とバカにしてはいけませんよ。
人生って、プライベートで出来ているのですから…。

人生は自転車に乗って走ろう


あなたには、あなただけが贈ることのできる贈り物があります。 それを贈るのです。

人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。- 松下幸之助

人生において、事をなすというのは、普通の人間にとってはハードルの高いことです。
自分のことや、自分のまわりのことで精一杯で、範囲を広げて「世のため人のため」に生きるなんて、並大抵ではできません。

でも、小さな範囲でしか影響の無い生き方であっても、それを嘆く必要はないのです。
自分は小さい人間だなんて思わずに、いま居る場所で、精一杯生きているだけで、人生の修行としては十分だと思います。

それぐらい、生きていくことって大変なことなんですね。

生きていくためには、食べなければならない。
食べるためには、お金を稼がなければならない。
死ぬまで、食べなければならないというのは、プレッシャーですね。

プレッシャーを感じながら、毎日一歩ずつ歩くのはたいへんです。
だからこそ、人生は歩いているのではなく、自転車に乗っていると思ったほうがいいのかもしれません。
自転車は、止まっちゃうと倒れますが、一生懸命漕いだら、しばらく惰性で走ることもできます。
坂道を下るときには、黙っていても走ります。
追い風のときにも、漕がなくても走ります。

自転車で風を切って走るのは気持ちのいいものです。
プレッシャーを感じて歩むより、気持ちよく自転車に乗って人生を走りましょう!

2010/06/10

悩んだことのない人は、人を動かすことはできない


一番ほしいものというのは、そう簡単に手に入るはずがありません。すぐに手に入るなら、すでに持っているでしょうから。

他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。- 本田宗一郎

親しくなっても、なれてはいけない

弱かった自分、ダメだった自分。
そんな自分を、覚えていますか?

誰だって、わからない、できないから始まるものです。
ところが、いざ出来てしまうと、できなかった自分を忘れてしまうのですね。
いつのまにか、上から目線でものを言い、できない人をバカにするのが大人でしょうか?

子どもの頃、大人はすごく大きく見えました。
自分が成長すると、忘れてしまう事って、けっこうあるんだと思います。

忘れなければ、子どもだった自分と同じように不安だったり、悔しかったりする人の気持ちがわかると思うんです。
忘れないのが、本当の大人だと思うんです。

怒りってなんだ?


怒りは、ぶつけるものではなく、伝えるもの。 さらにいえば、「どう伝えるのか」という表現方法こそが、怒りの感情をプラスに生かすうえで重要なのです。

とても重要なものもあれば、全く重要でないものもある。 その違いを知るために、わたしたちには人生が与えられている。

人を信じたいのであれば、「その人を信じる」のではなく、「その人を信じようとしている自分自身」を信じることです。

怒りの感情をプラスに転換するっていうのは、至難の業です。
そもそも、怒りって言う奴は、ものすごいマイナスのパワーをもっていますからね。
怒りを持った時点で、自分もマイナスのオーラに包まれていると思った方がいいですよ。

つまらないことに、いちいち腹を立てるのは、まったくエネルギーの無駄です。
自分の力で、どうしようもできないものに怒ってみたところで、無駄なだけなんですよ。
他人の気持ちなんて、どうやったって自分の思い通りにならないのだから、人に対して怒りの感情を持つこと自体、無意味なのかもしれません。

怒らないと決めてしまえば、人生だいぶ楽になります。

行き詰まったら「複雑すぎる!」のサイン


行き詰まったら「複雑すぎる!」のサイン

闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光のありがたさがわかるんだ。

悟りとは、自分の花を咲かせることだどんなに小さな花でもいい誰のものでもない独自の花を咲かせることだ

どんなに頑張っても、答えの見えない事ってある。
自分になんの落ち度も無いのに、酷い目にあうこともある。
出口のないトンネルを走っているような、光の見えない時もある。

人生って、そんなもんなんだろうと思う。

人間は、複雑すぎるから悩むんだな。
複雑に考えるから、起きてしまったことを、あれこれと思い悩む。

シンプルになったほうがいい。
きょう飯が食えて、寝る場所さえあれば、明日は明日の風が吹く。

できることを積み重ねていけば、やがて無理が利くようになります


 「こうでなければならない」というこだわりを捨ててみよう。

無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理が利くようになります。- 三浦雄一郎

そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ。- 森繁久弥

三浦雄一郎さんが「無理しない範囲で…」と、仰っても、僕のような凡人には、かなり無理してるようにしか感じないのですが…。
とにかく、すごい冒険家ですよ。人生が冒険そのもの。
ちょっと、三浦さんの人生を振り返ってみますと

1964年7月 イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立(なお、この前後に3度転倒し、「世界で最も速い速度で転倒して無傷で生還する」という珍記録も樹立)
1966年4月 富士山直滑降
1970年5月 エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降
2003年5月 世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす
2008年5月 75歳(世界歴代2位)でエベレストに再登頂

ね…?
こんな人の、無理しない範囲って、どんだけなんでしょう?

まあ、基準は、人それぞれでいいとして、できることを積み重ねるっていうことは大事なのはわかります。
75歳でエベレストに登るって、セサミンのごま油パワーで体調を整えているだけで、できたことじゃないはずです。
目標を持って、夢を持って生きてるって、すごいことですよね。
「歳なんて、関係ないんじゃ!」
と、三浦さんに言われたら、反論できる人はいないでしょ。

三浦雄一郎さんは、死ぬ瞬間に、最高の人生だったと言える人だと思いますね。

アイデアとは組み合わせのこと


苦しくなるほど愛すれば、やがて苦しみはなくなり、そのあとは愛があふれてくるのです。- マザー・テレサ

アイデアとは組み合わせのことであり、現代社会におけるオリジナルとは「オリジナルな組み合わせ」のことなのだ。

アイデアの種も愛の種も、実はそこらじゅうにあるもの。
決して特別なモノじゃないんだけど、組み合わせ次第で、良くも悪くもなる。

良いアイデアと愛の共通点は、どちらも人のためであること。
自分本位では、アイデアも愛も成立しない。

できない理由を探すな!


「私が思っているより、私はすばらしい」 何歳であろうと、人は自己を認識して肯定的な自己評価に到達することができる。

やりたいと思う気持ちは、それができるという証なのです

できない理由を探すな!

できる人って、できる方法ばっかり考えるでしょ?
できない理由なんか、絶対探さないもんね。

できないんだったら、はなっから、やろうとも思わないんだから、やりたいと思った時点で可能性はあると考えた方がいい。
いろいろ手を出しすぎて、どれもこれもモノにならないって言うんだったら問題だけど、それでも「できない」と思い込んで何もしないよりはマシでしょ。

人生は行動することで創られるんですよ!

個性的な人間は、他人の個性にも寛容になれる


「才」より「徳」
 
真に個性的な人間は、他人の個性にも寛容になれるんです。

人は、生まれながらにして、ひとりの個人として認められます。
成人するまでは、個人の権利は制限されますが、成人前でも人格は尊重されます。
これは、近代の法治国家の約束事です。

個人として認められることと、個性をもっていることとは、別次元の問題ですが、これを同一のレイヤーで捉えてしまうから間違いが起こります。
もちろん個性は持っていていいものであります。
ところが、個性の否定に関しては、人格の否定より制限がゆるい。
緩いというよりも、もしかしたら個性の否定に関しては、なんの約束も制限も無いのかも知れません。
それ故に、人は簡単に個性を否定してしまうのかも知れません。

人は、その思想において、完全に自由な存在であるべきです。
他人の思想に口を挟むなら、自分の思想を制限される覚悟を持たなければいけません。

自分の個性を大切に思うなら、他人の個性は尊重しましょう。

皆、生きることに自信を持っていないのです。


誰1人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。ということは、とりも直さず、皆、生きることに自信を持っていないのです。

進化は常にうまくいったもののうえに築かれ、過去の失敗は引きずらない。あなたもそうあるべきだ。

目的のない自由はまるで退屈で、なんのひっかかりもなく流れるように日々が過ぎる

いくつになっても、初めてのことは不安です。
若いときより、年を取ってきたほうが「初めて」に対する不安は大きいかもしれません。

赤ちゃんは、火を恐れませんね。
熱いことを知らないから、怖くないんです。

「知る」ことによって、蓄積されるものは知恵ばかりじゃない。
同時に、怖れや不安も溜め込んでいるのだということです。

無知も怖いけど、知ることによって臆病になるのも怖いですね。
先人の失敗を知ることによって、同じ轍を踏まないと心がけるだけではなく、人が踏み固めた安全な道だけを選ぶようになる…。
そんな状態から、魅力的な発想や、イノベーションが生まれるわけがありません。

いくつになっても、チャレンジし続けるためには、多少の不安はあってあたりまえと捉えましょう。

きょうという日を生きるのは、誰にとっても初めての体験なのですから。

2010/06/07

どうなるかわからない未来を思いわずらうのは、現在を生きていないということだ


地球は人類を充足させることはできる。しかし、欲望を満足させきることは出来ない。- マハトマ・ガンジー

思いどおりにいかなかった過去を悔やみ、どうなるかわからない未来を思いわずらうのは、現在を生きていないということだ。

天才とはとりもなおさず、人より優れた忍耐をする能力である - ベンジャミン・フランクリン

ガンジーが亡くなったとき、彼の持ち物は小さな鞄に数枚の衣服と、茶碗だけだったと言われています。
立派な人だったというより、命の使い方が天才的に上手い人だったのだと思います。

人間に必要なのは、生きる目的と信念、きょうを生き延びる食料、それ以外に必要なものって、本当は無いのかも知れません。
生まれてきたとき、ゼロならば、死ぬときにゼロであるべきなのかも知れません。

人間はいずれ死ぬとわかっているから、やっかいです。
それがいつか、わからないから、やっかいです。

あれこれ先のことを思い悩むより、きょう一日をきっちり生きる、それだけでいいんですね、きっと。

感じたことに言葉を与える


感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。

私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくっていく。

感情に言葉を与えるって難しいですね。
気持ちを言葉に出来なくて、もどかしい思いをすることがあります。

言えてるんだけど、上手く言えてない。
言ってるんだけど、伝わってない。

くどくど言うより、笑顔を交換したり手を握るほうが伝わることってあると思います。
自分が言いたいことを、うまく言葉に出来ないときは、ほかの方法でコミュニケーションするほうが、いいのかも知れませんね。

どんなに変化する世の中でも、自分から落後してはだめだ


『いくら稼げるか』ではなく『何を学べるか』で仕事を探しなさい

世の中は刻々と変化し、個人の力でどうすることもできない場合もある。だが、どんなに変化する世の中でも、自分から落後してはだめだ。

簡単な仕事は、手を抜かずに丁寧に…困難な仕事は、大胆不敵に進めること。

ついつい、お金のことを考えてしまいますね。
お金を稼ぐことは、大事なことなんだけど、その前にちょっと考えてみようと思うんです。
なぜ、お金がもらえるのかってことを。

お金をもらうってことは、まず、人の役に立ってなきゃいけない。
面倒なことを、代わりにやったり、特別な技術がないとできないことをやったり。
単純に、誰かの時間を節約するだけでも、価値はありますね。

で、大事なのは、それがいったい幾らの価値があるかっていうことですよ。
もし、自分なら、それに幾ら払うかってこと。
これを、正確に計算できる人って、あんまりいないかも…ですね。

仕事の必要性っていうのは、時々刻々変わっていきます。
ある日ある時、予想もしなかったイノベーションによって、自分の続けてきた仕事が無価値になってしまうこともあります。
仕事と向き合うって事は、時代と向き合うってことかもしれません。

10年後に、自分の仕事が、価値あるモノとして、この世に存在するだろうか?
自信を持ってYESと答えられる人は、いい仕事です。
僕なんかは、I don't knowですもん。

人も仕事も、同じかたちのままでは生きていけません。
自分から変化していけないのなら、変化しようとしている身の回りの人に乗る…でも良いんじゃないかな?
少なくとも、頭ごなしに否定する人って、生命力を感じませんね。

2010/06/05

迷ったときは、真実を語れ


小さい光でいい独自の光であれ

迷ったときは、真実を語れ。

道は待つことではなく、歩くことによってできる

迷ったときや、困ったときに限らず、真実だけを語れる状態にいることが、実はいちばん楽です。
大人の事情で、いろいろ言えないことを抱えているのはストレスの素ですからね。
いつも自然体でいたい…と思います。

あたたかい心で人のなかに住め


あなたの持てるものの中から、あなたのいる場所で、あなたのできることをせよ。- セオドア・ルーズベルト

あたたかい心で人のなかに住め。人のあたたかさは、自分の心があたたかでいなければ分かる筈もない。

そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ。- 森繁久弥

「情けは人のためならず」
と申しますが、人に情をかけたなら、必ず自分に戻ってくるのだから
まずは自分から、ということでしょう。

誰かに何かをしてあげよう、役に立とう、なんて思ってると
「自分がしてやった」などど、自分自身が表に出てしまします。
自分が出ちゃうのは、まだまだです。

誰にでもなく
どこへでもなく
あたたかい心を、いつも持っていることが理想ですね。

山は高く登るほど、風がきつい


どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない

一番良いのは勝つこと、次に良いのは負けることだ。- ジミー・コナーズ

山は高く登るほど、風がきつい

人はなぜ山に登りたがるんですかね?
僕には、さっぱりわからない。

高い山に登れば、上に行けば行くほど空気が薄い。
苦しい呼吸の中で、意識も薄れさせながら、それでも登る…
なぜなんでしょう?

自然の山も、組織という山も、結局、上に行けば行くほど苦しく、孤独なものだと思います。

たとえば、なにかの世界で頂点に立ったとします。
そこから見える景色は、遙か彼方まで見通せて気持ちが良いのかも知れません。
ただ、頂上に立ってしまうと、もう登る山が無いのです。
頂上で、石ころを集めて、その上でつま先立ちをしながら、ちょっと高いところへ登った気分になるしかないのです。

努力して、高みを目指すことを否定するわけではありません。
ただ、山に登る自分が、自分自身の全人格だったり、そのほかに何もない人生だったりするのはつまらないということです。
頂上に立ってみたら、自分の登った山よりも高い山があることに気づいて、いまから下山して、もう一度、高い山に登ろうなんて気力も無かったら、人生が停止しちゃいます。

登っている最中は、ときには自分のすべてを賭けてみるのもいいでしょう。
でも、頂上が見えたら、自分の中の半分は、下山させるべきなのです。
次の山に登る準備をするべきなのです。

人生で登れる山は、そう多くはありません。
頂上に雲がかかっていて見えない、見えてきたと思ったら、途方もなく高い山だったりするほうが、実は幸せなのかも知れないですね。

2010/06/04

何歳になっても、人の話は聞こう


あなたが何歳であろうと、その年齢を楽しむことだ

とても重要なものもあれば、全く重要でないものもある。 その違いを知るために、わたしたちには人生が与えられている。

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

感情が発する言葉も、思慮が発する言葉も、同じ言葉として捉えられがちです。
例えば、誰かを非難するとき、自分の立場からだけ言っているような言葉は、意見にならないものです。
相手の立場や主張も、考慮に入れた上で公平な判断をするのが、正しい意見の出し方なのだと思うのです。

自分の主義主張が正しいと思えるからこそ、強い信念を持てるのでしょうが、対立する考えを排除するだけの主張であれば、まだ、考えが足りないのかもしれません。

自分の理解を超える考え方を取り入れてこそ、正しい判断ができるのではないでしょうか?

若いときは、先人の背中を見て、歩むものです。
意見も知識も、吸収しようと心がけています。

歳をとると、自分の先をゆく者が、だんだん減っていきます。
そのときに、若い人の意見に聞く耳を持つだけでも、ずいぶんと自分の考えの幅が広がりますね。

教えることは、2回学ぶことである


熱中する心がなければ、この世に進歩はあり得ない。

生きたかったら、命ある限り歩け

教えることは、2回学ぶことである。

なにごとも熱中して、夢中になったほうが覚えが早いですね。
そして、本当に身につけたかったら、自分の身につけた知識や技を人に伝えたほうがいいです。

人に教えて、他の誰かが自分のポジションを脅かすのではないかと、抱え込んでしまうのは愚かなことです。
一人で抱え込める量なんて、たかが知れているのだから、まわりの人にさっさと成長してもらった方が、絶対、楽になれます。
そして、教えることによって自分の中で曖昧だったことが整理されたり、さらに良い方法を思いつくきっかけになったりもするのです。

集合知の時代ですから
抱え込まず、教えちゃいましょう。

愛と知識は、いくら与えても自分の中から消えたり減ったりしないです。

私の関心はいつも未来に向いている


教養とは、この世でいままでに語られ、かつ、考えられた最もよいものを知ることだ。

私の関心はいつも未来に向いている。なぜなら… 私の残りの人生をそこで過ごすのだから。

たいていの人は、物事を「いい」か「悪い」か、つまり「定性的」にしか捉えていません。そうではなく、「定量的」に考えてみる。いい悪いではなく、ナンボで考える。

賢い選択ができれば、人生は豊かになりますね。
賢い選択ができるようになるのが、教養を身につけるということではないでしょうか?

身につけるべき教養というのは、どの時代にも一定ではありません。
最近は、情報処理の速度や、情報の中から本質を推定する力というのが、とても大切な能力になってきました。
インターネットも携帯電話も無かった時代の教育には、あまり必要無かった能力が、いまの時代には必須の能力になりました。

昔の知恵は、この先、通用するかどうかで、その重要性が変わってきます。
何かを学ぶときに
「その知識は少なくとも、この先10年はすたれない」
と、確信の持てるときは、おおいに学び、一過性のものならばスルーする。
この、スルー力っていうのも、とても大事な教養になってきましたね。

2010/06/03

成功の秘訣は、職業をレジャーとみなすことだ


価値のある良いことはみんな、時間も手間もかかるものです。

ことばは丁寧であればいいというものでもない。心がこもっていなければ見抜かれてしまう

成功の秘訣は、職業をレジャーとみなすことだ - マーク・トゥエイン

賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。

幾世紀にも渡って残されてきたのものは人々の失敗や成功があって良いものが残されていきます。伝統は永遠の流行であると思います。

できると信じれば、それをする能力を得ることになるのだ。たとえ、はじめはその能力がなかったとしても  - マハトマ・ガンジー

自分の意見を持つためには、自分の考えを掘り下げ言葉にしなければならない。

なんか、不具合があったようで、きょうは言葉の数が多い…

毎日、3つの言葉と向き合って、そのときの自分の思いを書いているんだけど
そうそう都合良く3つの言葉に関連するものが思い浮かぶわけでもなく…

いままでも、3つの中から、ひとつピックアップなんてことはしょっちゅうあったし
ここは開き直って、ひとつ選んでみるか。

で、きょうのことばは
「職業をレジャーとみなす」
に、決定。

野球とかサッカーとか、ゴルフとか
プロのスポーツ選手っていうのは、幸せな商売だと思いますよ。

やってりゃ、それなりに苦労はあるし、結果が出なけりゃ明日をも知れぬ厳しい世界ですけど。
みんな好きが高じて、プロになったわけでしょ?
いいじゃありませんか!
好きなことを商売に出来るなんて、最高ですよ!

子どもはみんな天才だ!
って言いますけど、子どもの心を失わないまま、成長できるって素晴らしいですよ。

まぁ、僕のような凡人は、遊びの延長で職業を持つこともなく、サラリーマンをやっているわけですが、それでも気の持ちようで楽しく仕事したり、暮らしたりはできるんです。
「遊ぶように仕事する」のが理想ですね。

許せない時は、自分を許す


敵を傷つければ、敵以下の存在になってしまう。復讐をすれば相手と同じでしかない。許すことができれば、相手を乗りこえることができる。

たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまうだろう。

「許す」というのは、難しいです。
許すことによって、相手を乗り越えることができたとしても、そもそも、乗り越えたい対象でさえないことだってあります。

どうしても許せない時は、「許せない自分を許す」のがいいんじゃないでしょうか?

単純であることは究極の洗練である


単純であることは究極の洗練である - レオナルド・ダ・ヴィンチ

世の中の大多数が言う"常識"を疑ってみることは、生きていくうえでとても大切なことなのです。

何事も小さな仕事に分けてしまえば、特に難しいことなどない

" Simple is Best "
と、ダ・ヴィンチが言っても
なんか説得力が無いかも?

だって、モナリザの秘密だとか、ダ・ヴィンチ・コードだとか…
いろいろ隠された秘密があるっていうのが定説でしょ?

でも、どれもこれも、後生の人が推測したものであって
ダ・ヴィンチが自ら明かした秘密ではないし…

絵画とか芸術作品を製作するときって、そんなにゴチャゴチャ余計なことを考えるだろうか?
目の前にある景色が美しくて…とか
心に浮かんだ情景を形に表したくて…とか
わりと、衝動的なものなんじゃないかな?

「ダ・ヴィンチほどの天才が、考えなしに作品を創るわけがない」
と、思い込んでるだけなのかもしれない。

そう考えると、あとからいろんな謎があるように想像した人間の方が
よっぽど賢いような気もしてくるなぁ…

2010/06/02

人から与えてもらったものは仕事とは言わない。作業と言うんだ


人から与えてもらったものは仕事とは言わない。作業と言うんだ

Try and Error.........then Retry

人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ - 坂本龍馬

会社勤めをしていると
「この仕事は、やっているのか?やらされているのか?」
区別がつかないこともある。

これはポジションにかかわらず、社長になったってあるかもしれない。

やっているのか?
やらされているのか?

考えるだけ無駄だと思う。

全部「やっている」と思えばいいだけだ。
そのほうが、幸せでしょ?

チームに弱点はあったほうがいい。そのほうが皆、肩を寄せ合う。


チームに弱点はあったほうがいい。そのほうが皆、肩を寄せ合う。

三流は人の話を聞かない。 二流は人の話を聞く。 一流は人の話を聞いて実行する。 超一流は人の話を聞いて工夫する。- 羽生善治

異論の人間がいた方が、活気があってよい。- 坂本龍馬

チームを組んで仕事をするとき
その中には、様々な人がいる。

ひとつのヒントで、十も二十も仕事をしていく人もいれば
十や二十言ったところで、さっぱり働かない人もいる。

サラリーマン社会は、やった人と、やらない人に、待遇の差が大きくつかない。
日本が「世界で最も成功した社会主義国」と言われるのも、まんざら間違っていないような気がする。

仕事をしない(できない?)人を、するように仕向けるのは、たいへんなエネルギーが必要だ。
だいたい、世の中の管理職が悩むのは、仕事をしない人を部下に持つからだ。

出来る人は、待遇やポストに不満を言うよりも、出来る限りの仕事を精一杯やったほうがいい。
できない人の分まで、仕事が回ってきても、筋トレだと思ってやったらいい。
だいたい、出来ない人の預かっている仕事は、それほど難易度は高くないのだから。

どんなに優秀な人間にも、弱点があるように
どんなに優れたチームにもウィークポイントはある。
弱点を嘆くより、優れた点をよりよく伸ばす方が効率が良いのは、人もチームも同じだ。

ウィークポイントがあるからこそ、ストロングポイントが明らかになるんだから
ウィークポイントには、それなりの存在意義があるってことだよ。

ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。


ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。

あなたの持てるものの中から、あなたのいる場所で、あなたのできることをせよ。- セオドア・ルーズベルト

徳は知と意思と忍耐とより成る。

限界を打ち破るほどの信念って、持ったことあるだろうか?

多少、人と違うことならやったことあるけど、自分の限界を超えようなんていう大それたチャレンジはしてないような気がする。

まあ、それでも…

昨日と違うことをしようっていう気持ちが、新たな自分との出会いを連れてくるなら、軽い気持ちで変化していける。

難しく考えないで、昨日と違うことをしよう!

ごまかしで成功するよりも、堂々と失敗するほうがよい。


ごまかしで成功するよりも、堂々と失敗するほうがよい。

愛情表現のスタイルは、人によりさまざまです。人の数だけスタイルがあると言っていいくらいです。 その結果、誤解のパターンも、人の数だけあると言えるかもしれません。

「そのうちやる」という名の通りを歩いて行き、行き着くところは「なにもしない」という名札のかかった家である。

失敗を恐れるから誤魔化すのか?
誤魔化すから失敗するのか?
いまの実力を正々堂々と発揮して、それでうまくいかなかったとしても、誤魔化しながらやって成功するより得るモノはおおきいんじゃないかな?

愛情もスタイルはいろいろでいいけど、そこに誤魔化しがあったらダメ!
真実のない愛は、必ず誰かを傷つけてしまうから…。

名コーチの条件


ゆるぎない信念は思考を"力"に変え、限界を打ち破る。

聞いたことは、忘れる。見たことは、覚える。やったことは、分かる。見つけたことは、できる。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ - 山本五十六

名選手が、かならずしも名監督にはならない。
そりゃそうですよ。
プレーヤーの仕事と、コーチの仕事は全く別物ですから。

もちろん、プレーヤーとしても素晴らしい仕事をして、指導者としても実績を残す人はいます。
プレーヤーである間に、自分の成長だけではなく、後輩にアドバイスすることを心がけていたり、サポートを上手にしながら、後輩に仕事してもらったりという習慣が身についている人は、後に良い指導者になれる可能性がありますね。

プレーヤーとコーチの人間関係における圧倒的な違いは、プレーヤーであるうちは、わりと自分の好みで人を選ぶことができるけど、コーチの立場になると、好き嫌いとか、合う合わないに関係なく、面倒をみなきゃならないし、成長を促さなきゃならないってこと。

自分のために努力して、名プレーヤーになった人って、自分のために努力することなんて、あたりまえのことだと考えがちです。
だから、いざ、自分が指導者になり、努力が足りない部下をみるとイライラしちゃうんでしょうね。

器用にサクサク仕事できない人もいます。
でも、そういう人も、戦力として見なければ、良い指導者とは言えません。

名コーチっていうのは、人の長所を見つけて、引き出すのが上手にできる人のことを言うんですね。
自分が仕事するんじゃなくて、人にうまく仕事してもらうのが、腕の見せどころです。

2010/05/13

人にやさしい信念を持とう


おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。- サン・テグジュペリ

我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我らに光明を与えるだけでなく、周囲もを照らすのだ。- ガンジー

信念って、メラメラ燃やすモノと思ってたけど、ガンジーは灯火のように燃やすものだと言う。
確かに、自分のエネルギーとしての信念が、ときどき人を巻き込んで火傷させちゃうことってあると思う。
太陽も、あの距離にあるから"ちょうどいい"のであって、近すぎると地球は燃え尽きちゃう。

人にやさしい信念を持とう。

いいことは、いつのまにか「当たり前」に感じてしまう。


いいことは、いつのまにか「当たり前」に感じてしまう。

常に何かを聞き、常に何かを考え、常に何かを学ぶ。これが人生の真の生き方である。

君が笑えば、みんなが笑う

世の中には文句が多いよね。
褒めるより、文句が多い。
それって日本人の気質なんだろうか?

自分に不利益がある悪い事って、脊髄反射的に避けたいっていうのはあると思う。
良いことを語るって言うのは、けっこう頭を使う作業で、悪いってことを口に出すのはアホでもできるっちゅうことだ。

安心して夜道を歩けることも、安心して水を飲めることも、日本の良いところなのに、あえてそこを褒める事ってないよね。
あたりまえにあることって、それが無くならないと、価値がわからないって、なんとなく寂しい。

いま、普通にある生活を、それが無くなったら?って考えることで、感謝の気持ちが芽生えるんじゃないかな?
普通って、素晴らしいことに気づけば、誰でも幸せになれるってことさ。

2010/05/11

出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い


出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い。

トラブルは自分を磨きイマジネーションを豊かにするチャンス。トラブルを怖れるな。逃げずに頑張ってくぐり抜けた者が大きくなっている。

私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくっていく。

良くも悪くも、自分以外の人間は、自分と違う考えを持ち、自分と違う人生を歩んでいます。
自分と違う経験をしているということは、そこに学ぶべきところがあったり、尊敬すべきところがあったりするものです。

以前は、好きな人物の伝記を読んだり、エッセイを読んだりすることで、人の考え方を学ぶことが多かったように思います。
最近は、ブログやツイッターなどで、息づかいまで感じながら、人とのつながりや考え方を共有することができるようになりました。
人から何かを学んだり、感じたりすることが、便利に簡単になりました。

見知らぬ人との距離が、縮まっていく時代。
特定の誰かではなく、すべての人に、優しさを持ち、伝えていければいいなぁ…。

2010/05/10

iPadとか、普天間とか。


忙しい、と自分に信じ込ませることで「本当」のチャンスや「本当」の時間を無駄にしているのです。

大事を成さんと欲すれば、小なることを怠らず努べし。小積もりて大と成ればなり - 二宮尊徳

弱気にならなければ、この人生も素晴らしい

「弱気にならない」っていうのは、「いつも強気でいる」のとは違うなぁ。
強気すぎる人って、たいてい自分本位でしょ。
信念を持つのはいいけど、いやがる人まで巻き込むのは良くない。

強気な信念を持ちすぎて、人の意見を聞けなくなるのは危険だよ。
いつもニュートラルに、周りがよく見えている状態が最も素晴らしいんじゃないかな?

ところで
日本で発売されるiPadはSIMロック、SoftBankが独占することになった。
たぶんiPhoneほどのニーズが無い商品だから、iPhoneほどは儲からないな。
それにしても、先日のNTTの社長さんが
「うちもiPadのSIM売ります」って言っちゃったのはまずいよね。
だいぶ期待した人もいるみたいだし。
AppleはSIMフリーで売ると、発表時の基調講演で言ってたから、鵜呑みにしちゃったのかな?
孫さんに一本取られたってことか…。

期待させるようなことを先に言って、実現しないとショックでかいから、良いことほど、実現確実になるまで言わない方が良いんだな。
普天間の県外移設もそうでしょ。
期待してなきゃ、あんなにがっかりしないもん。

昨日、ミスターサンデーでやってたんだけど、フィリピンが基地を拒否して、アメリカ軍が撤収したあと、いきなりフィリピンのとある島に中国がやってきて、国旗立てちゃったって。
すごいね。あるんだね、こういうの。
で、アメリカはこの件に関しては、中立を宣言して、係わらなかったんだとさ。

沖縄から基地を撤収させて、そこに、どっかの国がやってきて
「ここは、俺の領土だ」って言われたら、どうするんだろ?

やっぱり「抑止力」って、あるんじゃない?

2010/05/09

その技術は、過去の技術を"完璧に"置き換えるのか?


本物のブランドとは、伝統のスタイルと技術に根差しながら、常に新しい変化をつくり出すものだ

貧困は、気高い心を堕落させることはできないし、富は、卑しい心を高めることはできない。

愛あるところに人生がある。- マハトマ・ガンジー

iPadがいよいよ発売されるということで、その話題で持ちきりです。
SoftBankの独占なのか、SIMフリーでDocomoが参入するのか、まだ結論は出ていません。

情報との接触の仕方は、劇的に変化し、いずれ電波がエーテルのように日本中に満ちて、いつでもどこでもつながる環境を手に入れることでしょう。空気や水のように、情報もそこにあることがあたりまえになっていくのだと思います。

きょう、NTTが1Gbpsの無線LANを開発したというニュースがありました。
どこまでが有線で、どこからが無線か?
イノベーションを睨みながら、判断しなければ、余計なお金を使ってしまうことになるでしょう。

変化を推進する者に、必要な視点は、残るモノと完全に置き換わるモノを切り分けて考えることです。
VHSはDVD、あるいはBlu-Rayに完全に置き換わります。
アナログテレビはデジタルテレビに完全に置き換わります。
しかし
CDは、mp3に完全に置き換わるでしょうか?
本は、紙からデータに置き換わるでしょうか?
テレビは、UstreamやYoutubeに置き換わるでしょうか?

ビジネスモデルは変化しますが、完全に置き換わらないモノに関しては、存在意義を棲み分けながら、今後も共存、補完、発展の道を進むのが正しい方向性だと思います。

新しいモノが出てきて、いち早く取り入れた人たちは、古いモノを滅びるモノと言ったりしますが、完全に置き換わるイノベーションでない限り、滅びるというのは乱暴な言い方だと思います。

どっちもあって、どっちも便利。
それが理想なんですよね。

2010/05/08

5%の楽観論者が各界をリードしている


人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に、道徳を追求していくことです。- アインシュタイン

日本人の95%は悲観論者。残りの5%の楽観論者が各界をリードしている。

私たちが笑顔で暮らし、自分のことを好きでいられて、思いやりの気持ちが自然と先立つように生きることができれば、世の中はどんどんよくなる。

リアルに出会う人の95%が悲観論者だとは思わない。
しかし、ネットの中には、相当数の悲観論者がいるような気がする。
人にもの申すのに、そんな言葉使いはないだろうというような表現を、毎日、見かける。
ネットの世界も、これだけ身近になってきたのだから、もっといろんな意味で、リアリティがほしいよね。

2010/05/07

宝物は、人通りが少ない道に埋まっている


落ち込んでいる時は新しいことに手を出さない。すでにできていること、得意なことをするようにする。

「やめないのも才能のうち」......ゆっくり遠くまで行こう

宝物は、人通りが少ない道に埋まっている。

よく成功の秘訣として語られる言葉に
「人と同じ事をしてちゃダメ」
みたいなのがあります。

大勢の人が通った後には、踏み固められた安定感のある道があるものですが、大勢の人が通ったということで、陳腐化しているのも事実です。時代にマッチしたデファクトには、それなりの価値はありますが、そこからイノベーションは起きづらいですね。

人も通らぬ獣道は、危険ですけど、ちょっとした裏道ならば、歩けると思います。
人が通っていないから、見落としもあるのですね。

ときには、自分なりの地図を描きに、小道を散歩するのもいいんじゃないでしょうか?
発見があるかもしれません。

心のガラクタを捨てて、受け入れるスペースを作ろう


心のガラクタを捨てて、受け入れるスペースを作ろう

自分にとってプラスになること以外口にしない - ベンジャミン・フランクリン

現代社会において、情報をシャットアウトするのは無理ですね。
ありとあらゆる方法で、情報が入ってくる。

仕事においては、ありがたい環境になってきたと思うんですが、これだけ情報が溢れかえっていると、情報疲れも引き起こします。
必要な情報と、必要でない情報を、個人レベルで完璧にフィルタリングできるサービスなんかが発明されたら、すごい経済効果を生み出すんじゃないでしょうか?

とはいえ、いまのところはノイズ混じりの情報から、自分の目と耳で取捨選択するしか方法は無いですから、訓練もかねて情報のシャワーを浴び続けています。

情報は、モノのように場所をとらないので、いつのまにやら溜まってしまいます。
また今日も、明日も情報は入って来ますから、受け取るためには、いくらか過去の情報を整理して、いらないものは捨てるほうがいいのかもしれません。

自分の蓄積している知識から、ノイズを減らしていくのも、情報とつきあう上では、大事な作業です。
心も頭も、ときどき掃除してやらないと、容量オーバーになっちゃいますよ。

自信は、守っている約束の数に比例する


何かに挑戦すれば、何かにぶつかる

そこに注目すれば、それはエスカレートする

自信は、守っている約束の数に比例する。大きさではない。

何であれ、達人への道は
  • 数多くやる
  • 長く続ける
  • 集中してやる
の、3点でしょう。

あと最近重要なのは「速さ」
多少不完全でも、速度をあげて数多くやるのが二十一世紀風だと思います。

人間は失敗しますからね。
一度の失敗で、すべてを失うなら、人間なんかやってられません。
たくさんやって、なるべく確率を上げていくっていうのが正解だと思います。

正解を多く導き出せれば、自信もつくでしょ?

1ミリ変えることで、不思議と人生はまったく新しいものに変っていきます


1ミリ変えることで、不思議と人生はまったく新しいものに変っていきます。

 今日良かったからといって、明日もいいとは限らない。今日悪かったからといって、明日も悪いと限らない。そんなことに一喜一憂していたら、身がもたない。

よいアイデアを得る最良の道は、たくさんのアイデアを持つことである。

アイデアっていうのは、既存の事実の組み合わせである。
ということは、そもそも何にもないところから、アイデアは生まれないということです。

知識を得ること、見聞を広げること、それ即ち、アイデアを出す素地を作っていることなんですね。

いいアイデアは、いい組み合わせなのです。
iPodもIPhoneも、この世界には既に原型があったのですが、必要のない機能をはぶき、美しく仕上げ、あたかも新しいモノのように謳うことでヒットしました。

いま、そこにあるものに、たったの1ミリ変化をつけることで、素敵に変身するモノって、まだまだあるのかもしれません。
日常の中に、1ミリの工夫を繰り返すことによって、未来は明るくなるんじゃないでしょうか?

幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ


この世界にはあなたに手を差し伸べ、あなたを愛そうとしている人々がたくさんいるのである。

出会いで人は変わります。だれか新しい人に出会うと新しい可能性が開けてきます。 何か新しい本に出会うと、新しい未来が見えてきます。 何か新しい言葉に出会うと新しい自分に気づきます。

幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。- 甲本ヒロト

いまの若者は、けっこう幸せ感じ上手な気がする。
住む家があって、着る服があって、きょう食べるものがあれば、他に何もいらない…と。
確かに、そのとおり。
生きていく分には、なにもいらないよね。

就職氷河期と言われているけど、働き口が無いだけではなく、無理して正社員にならなくてもいいと考える若者が増えているのも、失業率を押し上げている遠因じゃないかな?

本人が、幸せだと感じているなら、その生き方を否定するべきじゃないよ。
仕事をすることでしか、自己実現の方法が見つけられなかった世代に比べれば、やっぱり彼らは幸せなんだろうと思う。

働かなきゃと思ってから働けばいいんじゃない?
遅いスタートでも間に合う社会になればいいね。

アホであることを認めても、自分自身の価値はいくらも減りはしない


今が最悪だといえるときは、まだ最悪ではない

あなたが素直にならずに、相手が素直になることは、まずありえません

自分がアホであることを認めても、自分自身の価値はいくらも減りはしない。

変に負けん気を起こして、論争に勝っても、得るものは少ない。
プライドの高い人は、言い負けることを嫌うけど、言い負かされた相手は、ほとんどの場合、納得してないからね。

自分は自分、人は人。
いいんじゃない?バラバラな考え方でも…。

あまり奢り高ぶらない方が、人としては上等。
アホを認めても、認めなくても、人はその人自身でしかない。
人の価値は、誰かに勝ったから高まるモノじゃないでしょ?

言われていることは何か、それに心を用いなさい。


誰がそう言ったかを尋ねないで、言われていることは何か、それに心を用いなさい。

人間関係から何が得られるか、ということは考えないことです。 そのかわり、その関のためにあなたに何ができるか、を考えましょう。

言葉とか文字では人は動かせない - 本田宗一郎

自分に対する批判を素直に聞けないタイプの人っていますよね。
自分のやっていることに自信が無いのか、確信がないのか?

そもそも、他人というものは、批判的なものなんじゃないでしょうか?
自分のことはさておいて、匿名で他人を批判するのは卑怯で愚かな行為なのに、インターネット上には意味のない批判があふれています。
悲しいことです。
気に入らないことがあったとしても、実害が無ければ黙っていた方が賢いんですけどね。

少なくとも、卑怯な発言はスルーされても仕方ないのです。
本人がいくら正しいと思っていても、リアルな世界で通用しない物は、インターネットの世界でも通用するわけがありません。

相手が誰であれ、聞く耳を持つことは大切です。
でも、それは相手が自分が誰なのか、正々堂々と名乗った場合に限ります。

知識は忘れたころに知恵となる。


知識は忘れたころに知恵となる。

道楽を抜きにした人生なんてなんになるだろう?

感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。

僕は酒も飲まないし、コレと言って没頭している趣味も無いんですけど、つまらないとか暇だっていう感じはしないですね。
強いて言えば、いつもなにか考えています。
考えるのが、最高の娯楽かもしれません。

最近は怒濤のごとく情報が入ってきますから、考えるテーマには事欠きません。
アウトプットするのを前提にインプットしていると、知識の蓄積に深みが出ると思います。
こうした日常を通して、ちょっと賢くなれればいいですけどね。

自由に生きた人の人生は皆から尊敬されないかもしれないが、愛される。


自由に生きた人の人生は皆から尊敬されないかもしれないが、愛される。

幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。

樫の大木は一夜で大木になるわけではありません。大木になる過程で、多くの葉や枝や皮を失ったりもしているのです。

自由ってなんでしょうね?
子供の頃は、親の干渉や束縛があって、解放されたくって、尾崎豊みたいに吠えてたかもしれません。

19の時に、家を出て、自活しながら大学に行きました。
僕にうるさく言う人はいなくなったけど、働かないと喰っていけないので、仕事をするという責任に縛られました。
結局、経済的に自由にならないと、本当の自由は得られないことを知りました。

いまも、そういう意味では自由じゃないのかも知れません。

でも、サラリーマンやってる割にはしがらんでないし、けっこう気ままにやってます。
多少の不自由は、人生のスパイスだと思って、きょうも元気に生きてます。

自分の「いいところ」は、他人に認めてもらう必要はない


人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。- リチャード・M・ニクソン

自分の「いいところ」は、他人に認めてもらう必要はない。 自分が心の中で認めればそれでいいのであって、わざわざ他人に証明する必要はないのだ。

蜘蛛の巣はダメ、蜜蜂になれ。情報はくるのを待つな、自ら求めて動きまわれ。

自分の「いいところ」を自分で認めるって難しいですよ。
誰も褒めてくれないのに、自分だけ認めるなんて、不安になりますよね。

大勢でなくても良いから、ほんの少しだけ誰かに認められたいというのが本音なんじゃないでしょうか?

「自分はこれだけやっている」と声高に言う人がいますが、これは逆効果ですね。
本当に褒められるべき実績があるならば、黙っていたって噂になりますよ。
役に立つことをやっていて、全く認められないのなら、よっぽど環境が悪いってことでしょうね。

アイディアの開発は、2回壊して本物になる。


アイディアの開発は、2回壊して本物になる。

「人生に無駄はない」そう思える人だけが、人生の数限りない無駄を生かすことができる。

常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉っていうような、言葉のみを使っている人、そういう人は心がけなくても、人に幸福を分けている人だよ。

アイデアっていうのは、そもそも過去の成果や経験、知識の組み合わせですから、ぶっ壊したところでゼロにはならないものです。
壊すというよりも、これ以上、細分化できないところまで微分してみるということでしょうか?

微分すると、一見複雑に見えることでも、単純になります。
単純にしてわかりやすくなったものを、また組上げていく。
この組みあげの作業の中で、いらなかったものを省き、新たな考えを組み入れていくのが、アイデアを揉む作業と言うことです。

良いアイデアは良い組み合わせ。
最もシンプルで、美しい組み合わせが、最高のアイデアであるとも言えるでしょう。

あたり前を積み重ねると特別になる


あたり前を積み重ねると特別になる

苦難は幸福の前奏曲だと思えば、苦しみに耐える力も湧くだろう

自分の思ったことを通していくこと、それがやがて真理となっていく。

「特別」の反対は「あたり前」とか「普通」とかですかね。
「あたり前」も「普通」も、まんざら悪い訳じゃないですけどね。
ただ、経済活動においては、普通すぎると、注目が集まらないから儲からない。
どこか特別な価値が無いと、人はお金を払いませんから。

単純作業の繰り返しみたいな仕事で、新興国に敵うはずもなく、仕事の在り方自体、知的生産性を要求されるものに完全にシフトしていかないと、日本は立ちゆかなくなると思われます。それでも、単調な繰り返しを要求する仕事が無くならないならば、その単調さを合理化するという意識ぐらいは必要ですね。

いい結果が生まれるのはブランドを拡張するよりも収縮させる時である


いい結果が生まれるのはブランドを拡張するよりも収縮させる時である。

もっとも卓越した人々は、自己研鑽や、勉強をやめなかった人々、今もやめない人々のことである。苦労なくしては何も得られない。人生は永久に勉強である。

私のライバルは、昨日の私 - ベッキー

日本は20年もの間、成長が停滞している。
日本がひとつのブランドだとしたら、いい加減、成熟した結果としての文化がマネタイズされていても良いだろう。

製造業を中心に据えた経済成長は、もう望めない。
高度な製品も、国際社会の中ではすぐにコピーされて、新興国によって安価なものを生産されてしまう。
人口がどんどん減っていく日本では、国内のマーケットはすぐに飽和してしまう。

流通コストのかからない文化を、世界に示すことが、いまやるべきことなんじゃないだろうか?
モノはコピーできても、文化や精神性はコピーできないだろう。

ジャパニーズインテリジェンスは、なにも東大卒の官僚達の手を借りなくても、示すことはできるんじゃないかな?
マンガ家に東大出はいないでしょ? たぶん…。

2010/05/02

もっとも無駄な日は、笑わなかった日である


他の人に一生懸命サービスする人が最も利益を得る人間である - カーネル・サンダース

もっとも無駄な日は、笑わなかった日である

出会った人すべてから何かを学ぶことのできる人が世の中でいちばん賢い。

僕は嫁さんの笑い声が好きです。
よく笑う人で、テレビを見ながら大声で笑います。
決して上品な笑い方ではありません。
「ぎゃははははーぎゃはっ」と笑います。

本人は、自分の笑った顔が好きじゃないと言いますが、僕は好きです。

嫁さんが、笑っていてくれたら、きょうも幸せだなって思えるんです。
キザですかね?

常識とは、18歳までに身につけた偏見の集合だ


賛同してくれる人がいると快適だが、自分に賛同しない人といると成長する。

常識とは、18歳までに身につけた偏見の集合だ

やれるだけやって、倒れるなら倒れてみろという気持で生きてみることがやっぱり大事。

常識の中にも、時代と共に変わる物もあれば、変わらない物もある。
個人差もあるし。
ある人にとっての常識が、別な人には非常識に聞こえる場合もある。

「それって常識でしょ?」って言ってる人は、いったいなんの確信があって言ってるのか?
常識のすべてが偏見とは言わないが、常識を疑ってかかる癖は身につけておいた方が良い。

日本の教育は、一つの問いに対して一つの答えを求めるが、現実は一つしか回答のない物のほうが少ない。
様々な考え方があって、複数の答えがあって、多様性を認めることで平和も繁栄もあるというのに…。

複数の答えを認めないのは、支配する側から見れば都合が良いからでしょ。
都合の良い人間になって、他人のために人生の大半を費やすなんて、無駄じゃないかなぁ?

恐怖は人の心の中にしか存在しない


恐怖を克服する決心をさえすれば、たいていの恐怖は克服できる。恐怖は人の心の中にしか存在しないからだ。

人は、自分がだれかによって、何かによって支えられているのだと気づけば、謙虚になれる。自分の弱さやはかなさに気づくことができるのだ。

想像力って動物にはなくって、人間だけにあるものらしいですね。
鉄腕アトムに描かれていた未来は、その当時の人からしたら「まさか」の出来事で、想像の産物でしかなかったでしょう。
アトムほどの優れたロボットはいまのところ存在しませんが、手塚治虫の想像した未来は、ほとんど現実化したんじゃないでしょうか?

人間は想像力を使ってイメージしたものを具現化しながら発展してきました。
想像力はよく使えばエネルギーになるんですね。

ただ、マイナスのイメージも、やはり想像力の産物です。

想像しようがしまいが、悪いことが起きるときは起きるものです。
変にイメージを持って凝り固まるよりは、考えないで受け止めちゃった方がいいのかもしれません。

悪い事って、起きなきゃ起きない方がいいに決まってます。
でも悪いことが起きた時って、自分を見捨てる人がいたり、支え続けてくれる人がいたり。
ある意味、大切な物がはっきりと篩いにかけられて見えてくる機会なのかもしれませんね。

「教養」とは「一人で時間をつぶせる技術」


必ず成功するとは、誰にも言い切れない。必ず成功しないとも、誰にも言い切れない。

「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことである。

自分に問いかけ、自分と会話する。
なんか暗い感じもしますけどね…。
最近は手軽なコミュニケーションツールが増えてきたので、ひとりでゆっくり考える時間が減っているのではないでしょうか?

いくら便利になっても、情報に追い立てられて、考えることをしなくなったら本末転倒。
情報は考える材料であって、そこに結論を求める物じゃないでしょ?

自分の原理で動く生きかたが、かっこいい


自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。- アインシュタイン

いっぱい失敗して、そのたびに責任とって、そうやって人は伸びていくし、 "ひとかどの大人"になれるのだ。

他人の評判でなく自分の原理で動く生きかたが、かっこいいと思います。

ある人にとっての正解が、別な人にとっての正解であるとは限りません。
まずは、自分という基準がしっかりしていないと、いつも他人に流されて生きることになるでしょう。
自分の言動が理にかなっているか、それは義を重んじているか、自分自身を律しながら正解を求めるのは容易なことではありません。

先人は「間違うな」「失敗するな」とは決して言いません。
ただ、間違いから学び、間違えたら責任をとり、自分らしい正解を出せる人間になれと言っているのです。

迷ったときは、真実を語れ


すぐに立ち直る。これも持続性の重要なポイントだ。

迷ったときは、真実を語れ。

それしか自分を活かせる道がないとわかったら、それに徹することである。

人間やってると、必ず迷うもの。
誰でも、多かれ少なかれ、迷いの中で生きているのです。

若い頃は、迷ったときに「どっちがカッコイイか?」を基準に選択していました。
いまは少し変わってきたかも知れません。

真実は時として、その姿を明らかにしないものです。
でも、真実に近づきたければ、ぼんやりとでも方向だけは示してくれる気がします。

真実がいつも、自分に有利とは限りません。
それでも、それが誠の道ならば、その道を選ぶ勇気を持ち続けていたいものです。

2010/04/23

重要でもないことで喧嘩をしない


重要でもないことで喧嘩をしない。

小さい光でいい独自の光であれ

大いなる安らぎの心は、賞賛も中傷も気にしない人間のものである。

Twitterのタイムラインなんかを見てると、なんだか怒ってる人がいっぱいいますね。
いらないことに首をつっこんで、勝手に怒って人を不快にさせている。
普通の人間関係より、人間性が見えちゃうせいでしょうか?
こういうコミュニケーションが発達していく段階では、人と自分の違いを、もっと公平に見る力が求められます。
実害がなければスルーがよろしい。

人に与えて、己いよいよ多し。


親切な言葉は自信を生む。親切な考えは心に深みを与える。そして親切な行動は、愛を生む。

人に与えて、己いよいよ多し。

努力した人生の「なるようになる」と、いい加減な人生の「なるようになる」は、多くの場合、その「なり方」にちがいがでるのである。

親切とか笑顔とか、ただであげられるものは積極的にあげちゃったほうがいいです。
たぶん、こういうのって、あげたらあげたぶん返って来ますから。

失敗は一種の教育である


失敗は一種の教育である。「思考」とは何であるか知っている人間は、成功からも失敗からも、非常に多くのことを学ぶ。

挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。何度も言いますが挑戦しないことには始まらないのです。- 野茂英雄

心の力が勝れば、運命は心の支配下になる

失敗するとへこみますが、ただへこんでおしまいにしたら損ですね。
人生に判定負けはないので、最後に立っていれば勝ちなんです。

真実はいつも美しくてシンプルですぐそばにある


人を励まして幸せな気分にしてあげよう。そうすれば、その人だけでなく、あなたも幸せな気分になれる。

真実はいつも美しくてシンプルですぐそばにある。それをややこしくしてしまうのが人間だけど。そのややこしさを受け入れることで色んな景色が見えてくる。- 田辺誠一

人はこれまでの自分の経験の範囲でしか、他人を評価できません。

励ますっていうのは「がんばれ」とか「負けるな」って声をかけるのとは違うような気がします。
励まされる時って、かなりギリギリで、人の言葉がよく聞こえないほど追い詰められている時です。
そんな時には、声をかけられるより、ただそっと側にいてほしいのです。

辛いときに、なにげなく側にいて、辛いときこそ離れずにいてくれる人が、本当の味方です。
辛い状況の中でも、本当の味方が見つかれば、生きる力になります。
いつか必ず、この長いトンネルから抜け出して、一緒に笑って生きていこうと思えるからです。

僕は今、人生の中で最も苦しい状況の中にいます。
でも、いつも妻がそばにいて、ただ、ただ、そばにいてくれます。
たぶん、この感謝の気持ちは、形にしてあらわす事なんてできないでしょう。
だから、僕も、ただ彼女のそばにいたいと思います。

2010/04/22

多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ


多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ - モーツァルト

信じると決めたなら、何も語らず、疑うことなく、心から信じるのです

かけた情は水に流せ。受けた恩は石に刻め

最近のコンピューターはスペックがあがってきて、マルチタスクをこなすのがあたりまえになっています。ブラウザを立ち上げ、音楽を聴きながらメールを書く、なんてことはあたりまえになりました。一人の人間が、複数のコンピューターを駆使して作業すれば、単純な作業量は増えるし、生産性も上がるでしょう。
でも、人間はモーツアルトの時代と、そんなにスペックが変わったわけではありませんね。
創造的な作業は、コンピューターにはできません。未来の世界では、できるようになるのかも知れませんが、いまのところは人間のほうが優れています。そして、創造的な作業というのは、マルチタスクでは効率が悪いのも事実。集中してひとつのことをやったほうが、結果が出やすいものです。
道具としてのコンピューターは、もう無くてはならないものですが、道具に振り回されないようにしないと、人間の創造性は損なわれていきますね。
ターミネーターやマトリックスの世界では、人と機械のパワーバランスが逆転して、機械に支配される未来が描かれていますが、人間が考えることをやめなければ、ああいうふうにはならないと思います。信念や情は機械に教えても、うまく機能しないでしょう。答えがたくさんありすぎるし、計算もできませんから。

物事は大目に見るようにしなさい


不足は知恵と労力で補えばよい。大事なのは、やろうという強い想い、意志である。やろうと思えば、大抵できる。- 本田宗一郎

何かを決断するということは、同時に、何かを捨てるということ。捨てなければ、何かを得ることはできない。

物事は大目に見るようにしなさい。あなたには何ら害を及ぼさないような態度や言動については、とやかく言わないことだ。

偉大な業績を残した人の言葉は、力強いですね。自分はやった、できたという自信に満ちあふれています。
でも、たいていの人は、そこまで自信がない。
自信がないから、人と比較してしまうし、他人の意見が自分と違うことを恐れてしまいます。

自分は自分、それで十分。

そういうふうに思えれば、世の中のことはおおよそ大目に見ることができるんじゃないでしょうか?

成功とは、自分の達成度だ


行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、行動のないところに幸福は生まれない。

成功とは、自分の達成度だ。他人を気にする必要はまったくない。- イアン・ソープ

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。- アインシュタイン

「なんでもいいから、いちばんになりなさい」と、教えられたことがあります。
まあ、間違ってもいないんでしょうけど、これって正解とも思えないんですよ。
たいてい、上には上がいて、世界一になれるなんていうのは、ほんの一握りの人間で、それ以外の人は結局「いちばんになれなかった人」なわけで…。仮に、なにかで世界一になったとしても、永遠に世界一のままではいられない、程なく別な人がいちばんになるのです。どんな偉業を成したとしても虚しさが残るんじゃしょうがないと思います。
いつも、晴れ晴れとした気持ちでいるために、幸福も成功も自分のものさしで測るようにしたいものです。

小さなレンズも陽の光を集めれば、大森林でも灰にする。


小さなレンズも陽の光を集めれば、大森林でも灰にする。

迷ったときには、十年後にその決断がどう評価されるか、十年前ならどう受け入れられたかを考えてみればよい。

勇気とは不安に抵抗すること、不安に打ち勝つことで、不安を感じないことではない。

小さな事をやって得られる成果は小さいですね。
ただ、それが単発に終わることではなく、継続性がある場合には、ひとつひとつが小さな事でも大きな結果をもたらすこともあります。小さなことの積み重ねの結果、起こることのスケールが想像できたり、成功の確信があったりするほうが、やりがいも持てるだろうし、続ける力にもなるでしょう。
イメージがしっかり持てなくても、漠然とした中で続けてみるっていうだけでもいいと思うんです。何が起こるかわからない、結局、何も起こらないかも知れない。それでも、続けていれば足跡だけは残りますから。

2010/04/19

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である


最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。

日本の教育って、志望校に合格するための教育ですよね。学校に入ることがゴールになっているから、学校に入ったとたんに燃え尽きたり、目標を見失ったりします。
本当の教育の目的は「生きる力を身につけさせることなんだよ」と教えてもらったことがないんですよ。
学ぶことは生きるためなのだから、生きてる間は学ばなきゃいけないのだし、生きるって事は人それぞれなのだから、自分にぴったりの教師なんて自分以外にはいないんです。

“このくらい大丈夫”と思った方が楽に過ぎていく


 “辛い辛い”と愚痴るより “このくらい大丈夫”と思った方が楽に過ぎていく。

語気を荒らげて意見をぶつけても、相手の心の壁を取り払うことはできないのである。

何がほんとうに大切かがよくわかっている人は、何があまり大切でないかもわかっている人です。 余分なものを捨てて、思い切りのいい人生を歩むことができる人です。

愚痴とかけんかで解決できることはほとんど無いですね。
ぶつぶつ言ってるより、真っ正面から意見をぶつけてしまうか、言って聞かないような相手だったり、言ってもしかたないようなことに不満を持ったりするのはエネルギーの無駄ですよ。

しょっちゅう争っている人って、本当に大切なものが何なのかわかってないんじゃないでしょうか?
人の言ってることや、やっていることがいちいち気になる人って、自分との対話がちゃんとできてないような気がします。

程よいなまけは生活に風味を添える


程よいなまけは生活に風味を添える。

「波」は乗るもの。飲まれるもんじゃないよ。

人生最高の幸福は何でしょうか。それは富でも名誉でもありません。自分のしたいことを見つけ、それに取り組むことです。人はそれを「生きがい」と呼んでいます。

なんでもかんでも頑張ると、あんまりいいこと無いような気がします。
全力で取り組むものもあれば、適度に流すものもあっていいんですね。
「なまける」という言葉は、あまり良い意味で使われることはないですが、程よいなまけ、程よい遊びがなければ、人生に彩りがなくなっちゃいますよね。本筋ではなく、枝葉から吸収する養分が、人間を魅力的にするんじゃないですかね?

2010/04/16

今日という日は、残りの人生の最初の一日


今日という日は、残りの人生の最初の一日。

楽しきと思うが楽しきもとなり

どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない

昔のことを知っているというのは、同じ間違いを犯さないという意味では重要です。悲惨な戦争を二度と起こさない、起こしてはいけないと学ぶから、歴史は重要なのです。しかし、たとえ良い出来事であったとしても、歴史をなぞるのは考え物でしょう。今の時代には、今でしか判断できない物もあるのです。
「いま、ここから役にたつこと」は、過去から学べるものではありません。

僕も、時代について行くのがたいへんに思うような歳になりましたが、新しいことにチャレンジしたり、身につけたりするための勉強は、続けようと思っています。これをやめてしまったら、この世界で役に立つことはできなくなるからです。
成功体験の多い人ほど過去にとらわれがちですが、成功は過去のことなんです。それはそれとして、きょうからリスタートできる人だけが、これからも成功できるんじゃないでしょうか?

2010/04/06

我等のつとめは成功にあらず


我等のつとめは成功にあらず、失敗にたゆまずして更に進むことなり。

無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。

技術を追求すると、そこからさまざまなアイデアに行き着くことが多いものです。

研究開発を職業にしている人の中には、入社して10年も経つのに、自分の研究がひとつも製品化されない人もいるようです。同じような内容のものが他社で先に製品化され、開発が成功する前に陳腐化してしまうこともあるでしょう。運良く製品化されても、ヒットしなければ、開発費、生産ライン、流通などのグロスで赤字になり、成功とは言われないかも知れません。

そう考えると、世に出る前の段階では、何もかもが失敗の山なのです。
失敗の山の中に、ごくわずか成功の種があるだけなんですね。

そもそも、失敗だらけなのだから、失敗を恐れることなんて馬鹿げています。
興味がわいたら、さっさとやって、失敗すればいいのです。

興味を失わないうちは、勉強もするし、やってるうちに小さな成功に行き当たることもできるでしょう。
悔やむのをやめて、明日も元気に失敗しましょう!

計画は5%、実行が95%だ


素晴らしい計画は不要だ!計画は5%、実行が95%だ - カルロス・ゴーン

次々に、善意の考えが浮かび、実行できる人は、いつまでも「幸せ」が続いていきます

私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから。- トーマス・エジソン

志は大きい方がいいですね。
日本の景気が良くなることを考えるより、世界中から貧困をなくすと考えた方が良い。

目標は、近い目標と遠い目標の両方を持った方がいいですね。
遠い目標ばかりだと、いつまでも達成感が得られませんし、近い目標ばかりだと、どこに向かっているのかわからなくなってしまうことがあります。

計画は、具体的で、すぐに実現可能なものがいいです。
計画は目標達成のための手段ですから、あまり立派なものじゃなくてもいいと思うのです。あまりにも完璧に計画を立てすぎると、想定外の出来事に対して柔軟に対応することができなくなります。

なにか事を起こすときに、事前に資料を集めて研究したり、様々な想定をしたり、熟慮することは大切です。
しかし、いざ事が動き始めたら流れを読むことだとか、目の前の出来事に集中することの方が重要です。

なにごとも計画通りに進むことはありえない、と思っていた方がいいのです。
一生懸命書いた台本も、本番前には潔く捨てて、無心で臨む方が良い結果を生みます。